遊猿図:狩野松栄

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狩野元信には三人の子があり、いずれも父に倣って絵を描いたが、長男の宗信が若くして死に、次男の秀頼が他家へ養子に出たため、三男の松栄が狩野の本流を継いだ。松栄は、父の元信、子の永徳に挟まれて軽く見られる傾向にあるが、なかなか味わい深い絵を描いている。また、後の狩野派の特徴となる金地の豪華絢爛たる様式のはしりのようなものも感じさせる。

この遊猿図は、大徳寺聚光院の客間をかざる多数の障壁図のうちの一つ。聚光院は、永禄九年(1566)三好長慶の菩提寺としてたてられた。この大徳寺と、松栄は深い関係にあったらしい。松栄は、この寺の数多くの障壁図を、息子の永徳と手分けして手掛けた。

一見して、のびやかな筆使いが感じられる筆使いで、全体に柔和な印象を与える。豪快さを売り物にする永徳とは、対照的である。(紙本墨画 大徳寺 国宝)






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