折口信夫の神道論

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折口信夫が神道の興隆を意図していたことはよく知られている。しかしこの神道という言葉を折口は嫌い、「近来、少なくとも私だけは、神道という言葉を使わないようにしている」と言っていた(「神道に現われた民族論理」)。その理由は、神道という言葉は、神道の内部から使われるようになったものではなく、仏教側がつけた名だというのである。仏教側では神道を、仏の教えに対立するものとして(日本土着の)神の道と言い、仏教より一段劣ったものと考えていた。だから神道側ではこれを排斥すべきなのに、かえってそれを有難がって、自分でも神道と呼ぶようになった。これはおかしなことだ、とうのが折口の感想なのである。

神道は、仏教から軽く見られていただけではない。仏教神道のほかに、陰陽師神道とか唱門師神道とか修験神道とかいうものがあるように、神道にはほかの教義に吸収、習合される傾向が強いのだが、それは神道が自立していないで、その結果軽く見られていたことの結果だと折口は言う。その理由は、神道家たち、あるいは日本の神を信仰する人々が、神道を正しく理解していなかったからだ。その証拠に、神道家たちは、神道にまつわる言葉をよく理解していない。いい加減な言葉で表現された思想はいい加減なものになるほかない。神道もこの理屈によっていい加減なものになり、その結果仏教以下の外の教義から軽く見られるようになったのだ、というのが折口の考えである。

では、神道を正しく理解するためには何が必要か。折口は、日本人本来のものの考え方をよくあらわしている古い詞、とくに祝詞を理解する必要があると言う。祝詞というのは、神が人間に下さる詞のことであるが、その言葉を実際に発するのは人間である。その人を「みこともち」と言う。みこともちは、神に代わって、神の言葉を人間に給うのである。みこともちのうちの最高のものが天皇である。天皇は神にもっとも近いものとして、神の言葉をもっとも新鮮な状態で人間に下す。そのさいの天皇は神と一体化していると言ってもよいので、天皇を現人神というには相当の理由がある。天皇以下のみこともちは、下へ行くにしたがって神との距離が遠くなるが、しかしみこともちとして神の言葉を代宣しているかぎりは、神につながっているのである。

こういう考え方は、折口が生きていた当時の日本人の社会関係の姿をある程度反映しているところがあるようだ。昭和初期までの日本は、まだまだ権威主義的な社会で、垂直的な階層組織が幅を利かせていた。軍隊組織はその典型である。軍隊は、大元帥である天皇を頂点としたピラミッド組織で、天皇がすべての権威の源泉であった。組織の各結節点に位置する者は、上司の権威を自分の権威の裏付けとし、将軍たちは天皇の権威を自分の権威の裏付けとした。その結果、命令は究極的には天皇の命令ということになり、上司の命令に逆らうことは、天皇の命令に逆らうことを意味した。こうした組織のあり方を丸山真男は抑圧の移譲という言葉で表現したわけだが、それと同じようなことが、折口のいう神道にもあてはまるようなのである。

ともあれ折口は神道を、神を淵源とした壮大な階層体系として捉えたわけである。折口はその体系を微細にわたって論じるが、しかし体系の外形を論じるあまり、肝心の中身、つまり神道の教義についてはほとんど語るところがない。それは、折口の問題意識の偏頗から来ているのか、それとも神道内部に語るべき内容がないからか、そのあたりは何ともいえない。






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