折口信夫の大嘗祭論

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折口信夫の論考「大嘗祭の本義」は、大嘗祭を中心に皇室行事について語ったものである。皇室行事は神道をもとにしている。というか神道そのものである。折口自身は神道という言葉が気に入らないといっているが、ほかに適当な言葉がないので使っているようである。その神道とは、折口の理解によれば、皇室に集約的に体現されているので、皇室神道を語ることが即神道を語ることになる。神社の神道とか、民間の神道はみな、皇室の神道に淵源をもっている、というのが折口の主張である。

折口によれば、大嘗祭と新嘗祭とは同じものである。天皇が即位のときに行われるのが大嘗祭であり、毎年繰り返されるのが新嘗祭である。日本人の信仰では、最初に為された行為は、繰り返されることで効力を持続する。したがって、生涯に一度行うだけではなく、毎年それを繰り返すことで、効力を持続させる。大嘗祭と新嘗祭とはそのような関係にある。

そこで、新嘗祭の本義が問題となる。大嘗祭は新嘗祭の大規模なものと考えられるからである。その新嘗祭を折口は、別の文章の中で、「にひあへ」を原義とし、人が神とともにその年の収穫である米をともに食すという意味が含まれていたと書いているが、この論文のなかでは、「にへのいみ」を原義とすると言い換えている。「のいみ」が「なめ」となり、それが「にへ」と結びついて、「にひなめ」になったと言うのである。「にへ」とは、食べ物の意味があるから、神とともに食べ物を食するに先立って、「忌み」の行為をすることに、「にひなめ」の本義があると考えているわけである。その考えに沿って、折口は、新嘗祭は一連の「忌み」の行為、つまり「はらへ」とか「みそぎ」からなっているとした。「はらへ」とは、悪しきことから身を浄めることであり、「みそぎ」とは、善きことに先立って身を浄めることである。

新嘗祭という言葉のうち、新嘗の部分については以上のとおりであるが、祭の部分についてはどうか。ここで折口は「まつり」という言葉の語義解釈を展開して見せる。折口によれば、「まつる」とは、「天つ神の命令を伝へ、又命令どほり執り行ふて居る事」をさす。「まつりごと」とは、この命令を執行することなのである。しかしてその命令とは、穀物を成らすことである。しかして穀物が成ると、その結果を神に報告せねばならない。それをも又「まつる」と言った。いずれにしても「まつり」とは、天つ神の命令を実行することであった。

天皇は神の命令を自ら受ける一方、民に向かっては神の代理者として神の命令を伝える立場にある。その命令は無論言葉による。日本人の信仰では、言葉は単なる言葉に止まらず、それを聞いたものを服従させる効力をもっていた。神の威力ある詞は、言うとおりの結果を生じさせる。神の詞を伝えられると、その通りにしなければならないのである。こんなわけだから、神の詞を神に代わって伝えるものは、それ自身が神と同じ立場に立つ。この意味では、天皇自身が神になるのである。それゆえ天皇を現人神と言うには、相応の根拠がある、と折口は主張するのである。

このような具合で、新嘗祭というのは、神の命令に従って行った農事の報告という意義を有している。だから毎年行われる。大嘗祭は、その新嘗祭を、天皇の即位の時に行うものだ。大嘗祭を行うことで、新しい天皇は神と直接つながり、現人神となることができるのである。

この論文には、そのほかに、皇室行事にかかわるさまざまな事柄が言及されている。まさに皇室行事の手引書といった観を呈しているくらいだ。折口にとっては、皇室行事即皇室神道であり、皇室神道こそが日本の神道の中核をなしていたのである。

折口は、神道の興隆を強く願っていたが、その神道とは、皇室神道を指していたわけである。彼の皇室に対する尊敬にはただならぬものがある。かれは学者としてではなく、天皇の臣下として神道を考えている。そんなわけだから、天皇を天子様と呼び、最大限の敬語を使って天皇に言及している。それにしても、皇室行事に関する折口の知識は相当のものだ。かれはこの知識をどこから仕入れたか。在野の研究から得たものも多かろうが、それだけではあるまい。皇室関係者から直接仕入れた部分もあるのではないか。






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