トーマス・マンのチェーホフ論

| コメント(0)
トーマス・マンのチェーホフ論は、チェーホフへの敬愛に満ちている。マンは、チェーホフの作品への深い共感だけではなく、チェーホフの人柄への強い敬愛の念をも抱いていたことが、そのチェーホフ論からは伝わって来るのである。

チェーホフといえば、多くの短編小説といくつかの戯曲で知られている。マンがチェーホフ論の中で取り上げるのは主として短編小説のほうである。チェーホフが死んだとき、マンは「ブッデンブローグ家の人々」を書いて文壇デビューしたばかりだったが、その際にはチェーホフの偉大さをそんなに理解していなかったという。かれにとって、芸術上の手本は、バルザック、トルストイ、ワーグナーといった偉大な完成者であり、チェーホフのような短編小説作家は、一段と低い位置づけしかもたないように思えた。それをマンは、自分の無知のせいだと認め、チェーホフの偉大さを認めるようになったというのだ。

チェーホフの短編小説のなかでマンがもっとも愛するのは「たいくつな話」だという。この小説はある老人の人生観のようなものを語っているのだが、それを書いた時、チェーホフはまだ三十前の若さだった。その若さで、老人の人生観を書けたのは、チェーホフが自分の寿命をよくわきまえていたからだとマンは推測している。チェーホフは、二十九歳の時に肺結核の診断が出たが、医師であったかれには、それが何を意味するか、十分わかっていたのである。チェーホフは自分に残された時間が限られていることを自覚していたがゆえに、自分を老人と一体化させることができたというのだ。

この小説の主人公である老人は、自分の生涯には、「精神的な中心、『一般的理念』が欠けており、したがってそれは無意味な一生、救いのない一生」と言わねばならなかったのだが、そうした老人の思いは、チェーホフ自身についても重なるところがあった。チェーホフは自分の仕事に自信が持てず、「私は読者をあざむいているのではないか」と常に自問せずにはいられなかった。というのもかれは、「私がもっとも重要な問題に対してこたえるすべを知らない」と感じていたからだ。

もっとも、チェーホフの小説世界に見られるこうした深刻癖というか議論好きなところは、「部分的にはほかの作家たちもやっているように、単にロシア人特有の際限のない無益な思索癖、議論癖を風刺しているだけなのかもしれない」とマンはいうのだが、それにしても、チェーホフの場合には、そうした思索癖は、ロシア社会の惨めな現状を直視することからもたらされたものであり、したがって、それなりの社会的・時代的な背景をもっていたのだともマンは指摘する。そうすることで、チェーホフは時代に対する良心的な批判者であったといいたいわけであろう。

チェーホフが立ち向かったのは、「人道主義を売り物にしながら、奴隷制に耳をおおうブルジョワ資本主義社会」であった。そうした社会にあって、あくまでも理想主義的であろうとすれば、人は「尊敬すべき不眠症」に苦しむこととなる。そしてチョーホフこそは、それに苦しんだ人であったのだとマンは言って、チェーホフの誠実な生き方に敬意を表するのだ。「彼の全創作活動はまさに尊敬すべき不眠そのものであり、<われら何をなすべきか?>という問いに対する、救いをもたらす正しい答えの探求であった。その答えを見出すことは(一般的にもそうだが)彼には困難なことであった。彼がたしかに知っていたただひとつのことは、怠惰が何よりも悪いものであり、ひとは働かねばならぬ、ということであった」

そこでチェーホフの、決して長いとは言えぬ生涯は、つねに労働への衝動に突き動かされていたということになる。チェーホフにとっては、文学も労働であり、しかも自分にとってもっともふさわしい労働であった。このようにチェーホフは労働の意義を高く評価したのだったが、自分自身は労働者階級とはなんの関係もなかった。「マルクスを研究したわけではなかった。勤労の詩人ではあったが、ゴーリキーのような勤労者出身の詩人ではなかった。けれども、彼は自国の人民の心の琴線にふれる社会的悲愁のしらべをかなでることができた」

そんなチェーホフが死んだときに、彼を「革命の海ツバメ」と呼んだものがあったが、「彼は海ツバメのようには見えなかった」とマンはいう。チェーホフは海ツバメのような精悍さとは無縁であって、むしろ控え目で、うぬぼれなどとは無縁な人間であった。それは彼の肖像画を一瞥すれば伝わってくることだとマンは言って、チェーホフの風貌の特徴を記している。「肖像写真で見ると、彼は糊付けのカラーに、ひもつきの鼻眼鏡という十九世紀末の服装をして、とがった顎髭をはやし、均整のとれた、いくぶん悩ましげな顔にやさしい憂鬱さをたたえた、やせぎすの人物である。その顔立ちは、聡明な注意深さと、慎み深さと、懐疑と、善良さとをあらわしている。それは自分のことを大げさにいうことを好まない人間の顔であり、姿勢である。うぬぼれなどはみじんも感じられない」

マンはこう言うことで、チェーホフの作品は、チェーホフの人柄がそのままあらわれたものだと言いたいわけであろう。そう言うことでマンは、よくいわれるような、強烈な風刺家としてのチェーホフではなく、温厚な批評家としてのチェーホフのイメージを強調したいのだと思う。

しかし、チェーホフをそのように位置付けてしまうと、チェーホフの小説の醸し出す、同時代に対するあの強烈な批判が薄められた形で見えてくることになりかねない。チェーホフの真骨頂は、やはり、同時代の人間や社会に対する徹底した批判なのであって、それは同時代のロシアが持つ救いがたい俗悪性と相関的なものだったのだ。(以上、マンの文章からの引用は木村彰一訳)






コメントする

アーカイブ