何故ユダヤ人から天才が輩出したか

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19世紀末から20世紀前半にかけて、ユダヤ人から多くの天才といわれる人々が輩出した。フロイト、アインシュタイン、ウィトゲンシュタインといった人々はその代表的なものであり、また世界のノーベル賞受賞者の四分の一はユダヤ人である。わずか一千万人ほどの人口規模しかもたないこの民族がなぜ、かくも多くの天才・秀才を生み出したのか。さまざまな憶測がなされている。その中には、ユダヤ人の人種的な優秀性を指摘するものもあれば、ユダヤ人の教育システムの効率性を指摘するものもある。そんななかで最も即物的な説明をしているのが、当のユダヤ人であるハンナ・アーレントだ。

アーレントは、ユダヤ人が天才を輩出するようになるのは、19世紀後半からのことで、それには歴史的な背景があったとしている。ヨーロッパのユダヤ人は、人種的に差別されてはきたが、19世紀の半ば頃までは、それなりにヨーロッパ社会に居場所をもっていた。その居場所とは、ヨーロッパの権力者たちの周辺であって、ユダヤ人は権力者たちを囲む特別な空間に、金融のパトロンとして迎えられてきた。無論貧乏なユダヤ人はいたわけで、その連中はあいかわらず差別の対象となってきたが、裕福なユダヤ人は、金の力を背景にして、ヨーロッパの上流社会に食い込んでいたのである。

ところが、19世紀後半になって、最後の封建社会であったドイツやイタリアが近代的な国家に衣替えすると、従来ユダヤ人の金融力に依存していた王や貴族の権力が軒並み倒された。そのことでユダヤ人は、自分たちの後ろ盾を失い、新しく成立した国民国家のなかで、異質な分子としての自分を見出さざるをえなくなった。この国民国家の国民は、大衆という姿を呈し、ユダヤ人を露骨に差別する方向に向かった。かれらにとっては、権力と結びついた金力にはそれなりの存在意義があると思えたが、権力を伴なわない金力は、侮蔑の対象でしかなかったのだ。そうした傾向は、社会が大衆社会化するにつれてますます強まって行った。そんな社会において、ユダヤ人は金を持っている無用の存在として、激しい憎悪に曝されるようになる。その憎悪がゆくゆくは、ナチスのホロコーストにつながっていったというわけである。

そうした傾向に立ち向かいながら、自分たちの民族としてのアイデンティティを、ユダヤ人は新たに成立した大衆社会の大衆に示す必要に迫られた。自分たちの存在意義を大衆社会の大衆に認めさせるにはどうしたらいいか。それは、学術や芸能の分野で高い成果をあげることだと、ユダヤ人たちは考えた。そこでユダヤ人たちは、自分の持っている金を、自分自身に投資して、自分をスーパーマンに仕上げ、その能力を以てヨーロッパ社会における存在意義を示そうとつとめた。その努力は成功した。ユダヤ人たちは多くのすぐれた人材を輩出し、民族としての優秀性をいやがおうにもヨーロッパ社会に認めさせたのである。このプロセスの背後には、転落しかかったユダヤ人の栄光を、金の力でもういちど取り戻そうとするユダヤ人の懸命の努力があったとアーレントはいうわけである。

だからアーレントによれば、ユダヤ人が多くの天才を輩出したのは、民族として生き残るための知恵だったということになる。ユダヤ人たちは功利的な動機に駆られながら、自分たちの能力を高めていったというのである。それにしても、人間というものは、短期間でこうも変れるものなのか。それともユダヤ人にはそうした変化に馴染むような生物的な傾向があるのだろうか。もしアーレントのいうように、金の力で天才になれるのだったら、他の民族にも、天才を多く生み出すチャンスがあるということになる。





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