安部晋三は天皇の名付け親になれるか

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新しい元号令和が、時の総理大臣安倍晋三のイニシャティヴで作られたことは、いまや公然の事実だ。元号案の候補収集過程から決定に至るまで安倍晋三の強い意向が反映しているので、安倍晋三は令和という元号の生みの親のように、多くの国民から見なされている。元号は、時の天皇のおくり名となるものだから、その元号の生みの親ということは、天皇の名付け親というに等しい。だから安倍晋三は天皇の名付け親になれるか、という問題設定は正確ではない。ことの性質を踏まえれば、安倍晋三は天皇の名付け親にふさわしくなれるか、といったほうがよいだろう。

安部晋三が元号の実質的な生みの親となったことについては、様々な意見がある。代表的なものとしては、安倍晋三は元号を私物化し、元号がこれまで帯びて来た政治的中立性のようなものを踏みにじったという批判的な意見がある一方、安倍晋三は内閣総理大臣として、国民を代表する立場で元号制定過程に携ったのであり、民主主義の本旨からいってむしろあるべき姿を示したのだとする好意的な意見がある。

安部晋三が元号を私物化したと批判する人たちは、これまでの元号制定の伝統のようなものを引き合いに出し、その過程に政治家が露骨な政治的意図を以て介入することを控えることで、元号の政治色を薄める努力をしてきたのに対して、安倍晋三がそうした伝統を無視して、自分の主張を無理に通したことは、元号を政治利用するものであり、ひいては天皇の権威を利用するものだとして強く批判する。

一方、安倍晋三の元号制定過程への介入を擁護する人々は、これまでの伝統は国民主権という観点からは見直されるべきであり、安倍晋三は総理大臣として、その国民主権を体現する立場から元号の制定に関わったのだから、なんら批判されるべきいわれはないと主張する。

どちらの主張に与するかは別として、今回の元号が安倍晋三という一政治家のこだわりを踏まえているという点では、大した意見の相違はないのではないか。それゆえ令和という元号は、今後ずっと安倍晋三の名と結びつくことは避けられないと思う。いいか悪いかは別として、元号の生みの親であれば、この元号をおくり名とする天皇の実質的な名付け親となるのに不思議はない。日本の長い歴史の上で、一政治家の名前がこのように深く元号と結びついた例は過去にない。その点で安倍晋三という政治家は、古今無類の偉業をなしとげたと称賛されてもよい。

それはともあれ、小生はこの元号があまりスマートだとは思っていない。従来の伝統を全く無視していることは別として、安倍首相による元号の意義の説明に知性を感じることができないからだ。安倍晋三の説明を聞いていると、どこかしら無教養ぶりを感じさせられる。無教養というのは、元号についての歴史的な背景とか、それがこれまで持たされてきた意味について、ほとんど考慮することがないと思うからである。安部首相は、まったく無からこの元号を考え出したというなら、それはそれで一見識だが、元号の説明については従来の慣行を踏襲しているわけで、そうだとするなら、元号についてもっとしっかりした見識を、教養として持つべきだと考えるのである。あまりに無教養では、天皇の名付け親としてふさわしいとは言えない。





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