学生時代の思い出を語る

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四方山話の会五月例会には、清子が関西から出て来て演説をする段取りになっていたので、その際の参考に読んでおけと言って渡されていた原稿を持参して、早めに会場につき、皆が来ない間に読み終えて、清子が来るのを待ったのだった。清子の書いた原稿は三編からなり、あわせてA4用紙19枚分というボリュームで、日本の政治運動史の一コマについての清子なりの分析が施されていた

そのうち小子やら福子やらがぼちぼちやって来て、予定の時刻には八名が揃った。石子によれば、今宵は十一名がエントリーしているという。まだ三人揃わないのはともかくとして、肝心の清子が来ない。福子が携帯で連絡すると、この場所がわからず路上にたたずんでいるという。そこでその場所を聞いたうえで、石子が現場に駆け付けたのはいいが、しばらくして一人で戻って来た。会えなかったというのだ。そこで二度目の携帯電話をかけ、場所をもうすこし詳しく聞いたうえで、今度は梶子が探しに出かけた。ところがその梶子も、清子の姿が見えないと言ってきた。これでは埒があかないので、清子と梶子を直接携帯でやり取りさせた結果、なんとか会うことができたようで、しばらくして二人で会場に現われた。

こうして九名が揃った。改めて言うと、小生及び清子のほかに、福、七谷、小、石、岩、梶、浦の諸子である。七谷子は今年初めての参加だったが、席につくやいなや、心臓が苦しくなったと言って、青い顔をしている。体調がかなり悪いらしい。そんなわけで、しばらく清子の演説に耳を傾けたあと、先に席を立って去っていった。

さて清子の演説であるが、本論に先立って、先日死んだ二人の仲間について言及した。今年の始めに栗子が心配していた新子が、その後事態が急変して死んだのと、大子がそれに前後して死んだ。我々も七十になって、こうして身辺から親しい仲間が消えていく年齢になり、また自分自身もいつ死ぬかもしれない。あと十年もすればみな消えてしまうだろう。だからこれが最後の宴になるかもしれない。そういう年になったことを踏まえて、ぼくはみんなに提案したいことがある。こう清子は言って、本論に入っていったのだった。

提案というのは、みなそれぞれ学生時代を振り返り、当時抱いた思想を反省しながら、自分がこれまで生きて来た人生を総括してみてはどうかというようなことだった。しかもそれぞれ自分だけの総括に終わらせるのではなく、それを文章の形にして持ちより、文集にまとめ上げようではないか、というものだった。いきなり文集を本の形にするのではなく、まずホームページを開設して、そこにそれぞれが投稿するようにしたらどうか、ホームページは清子本人が開設したいと思い、いまその準備作業をしている。それが成功したら、早速みんなからの投稿を待ちたい。そう清子は言うのだった。

ところで、そのホームページとやらはどのような形をイメージしているのかね。君の言うところでは、ホームページビルダーを使って準備したいということだが、ホームページビルダーには、SNSの機能はないと思う。小生がそう言ったところが、梶子が脇から補足して、BBSの機能を使えばいいと思うよと言ったのだった。それはともかく、清子が言うには、格安のドメインを入手したのだが、それがホームページビルダーとは相性が悪いらしく、いまだにアップロードできないでいる。しかしもう少し研究して、近いうちにアップロードさせるつもりだから、みんなには是非投稿をお願いしたいと重ねて言うので、小生はかれの健闘を祈った次第だったが、果たしてどうなるか、聊かの不安を感じたのでもあった。

清子の演説が終わると、ほかのみながそれぞれ五分の範囲内で、清子の呼びかけへの反応を述べた。浦子は、四方山話の会の趣旨を話し、我々はそれぞれの自分史を持ち寄って、それをみなで共有する作業を続けている。これは君の呼びかけの趣旨にも通じることなので、いままでそれぞれが発表してきた自分史を、文章にして持ち寄るというのも一つの手だね、と言ったところが、清子はそれに賛成したように頷いた。とにかく、どういう形にせよ、文章を寄せて欲しいということらしい。

他の諸子は、それぞれ自分なりの学生時代を思い出して、色々述懐の言葉を述べた。梶子などは、学生時代の経験が、いまだに強烈なインパクトを以て、蘇ってくると言った。小子は、自分の学生時代には反権力意識が旺盛だったが、それは自分の原点だったように思うと述べた。また石子のように、学生時代のことよりも、今現在の日本の政治を批判する者もいたが、それはひとそれぞれの個性のあらわれだと思う。

いつものように軽い食事で宴会を終えたあと、清子を誘って二次会に繰り出した。高速道路下のPRONTOという店に入り、角ハイボールを飲みながら、歓談の続きをする。談笑するものはほかに、石、浦、岩といったいつもどおりのメンバーだった。清子に今晩の宿泊先を訪ねると、渋谷のカプセル・ホテルだという。明日は一日中早稲田に出張して、講演会に従事しているので、もし時間の余裕があったら聞きにきてほしい。講演会が終わったらまた一杯やろう。そう清子は言うのであった。その清子の風貌は、髪こそ真っ白になってはいるが、学生時代と殆ど変わらない印象を与えた。






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