オリーブの林をぬけて:アッバス・キアロスタミ

| コメント(0)
kiaro05.olive2.JPG

アッバス・キアロスタミの1994年の映画「オリーブの林をぬけて」は、「友だちのうちはどこ」に始まり、「そして人生はつづく」に続く、イランの片田舎コケルを舞台にした青春映画の第三作目だ。この映画でも、キアロスタミは現地の人々を俳優に起用し、イラン大地震でひどい目に遭った人々が懸命に生きるさまを描きだしている。

映画は、キアロスタミがコケルの村を舞台にして、新婚夫婦の日常を描くという設定になっている。その映画を撮りに村にやって来たキアロスタミら映画のスタッフたちは、現地で俳優のリクルートをする。主演女優役にはタヘルという美しい娘が選ばれる。その娘と若い男が夫婦訳で出て来る設定なのだが、男のほうはうぶな若者で、女と向かい合うと台詞が言えなくなってしまう。そこで別の若者を代役にするが、その若者をタヘルのほうが嫌って、なかなかうまく撮影が進まない。それでも騙しながら撮影を続けるのだが、なにせ素人俳優のことだから、監督の思い通りに運ばず、撮影は遅々として進まない。同じ場面を延々と繰り返すのだ。

若者はタヘルのことが好きで、なんとかして彼女と結婚したいと考えている。しかしタヘルの祖母が大反対している。理由は、若者が文字も読めず、家も持っていないということだった。そんな若者に監督は、別の娘と結婚したらよいと勧める。ところが若者はいやがる。理由は、その娘が文字を読めないからだという。そこで監督は、君はタヘルの祖母から文字を読めないことを理由にタヘルとの結婚を断られたのだから、そんなことを言ってもよいのか、と問いただすと、若者は、自分が文字を読めないからこそ、妻には文字を読める娘を迎えたいのだという。持てる者と持たざるものとが協力しあうのが人間の正しい生き方だというのだ。

そんなわけで若者は、なんとかしてタヘルと結婚したいと思い込み、撮影の合間を縫ってタヘルを口説きにかかる。映画の後半は、その若者がタヘルを口説く場面からなっているのだ。若者は撮影現場で口説いたあと、家に向かうタヘルを追いかけながら、延々と口説き続ける。きっと君を幸せにするし、家だってこれから努力して建てる。だから僕と結婚してほしい。そういって若者は諄々とタヘルに言い聞かせるのだが、タヘルはまともに答えない。やがて彼らはオリーブの林にさしかかる。その林からタヘルが出てきた後で、若者がタヘルに追いつく。その場面を映画は遠距離からのロングショットでとらえる。観客は、タヘルに追いついた若者が無事タヘルを説得できたかと固唾を飲むところなのだが、なぜか若者は一人で引き返してくる。その様子を遠回しに写しながら映画は終るのだ。

というわけでこの映画は、一人の乙女を愛する一人の若者の純情な気持ちをテーマにしたものだ。こんな純情な若者の愛は、いまどきの日本では見られないし、世界的に見てもめずらしいのではないか。その珍しい愛が、イランではいまでも普通に見られるということを、この映画は伝えている。

なお、映画の中で若い夫婦と近所の親爺とのやり取りが出て来るが、これは前作「そして人生はつづく」で出て来た場面をそのまま援用している。そのほか、「友だちのうちはどこ」が引用されていたり、この映画はコケル三部作としての連続性が強くうかがわせるように作られている。

また、この映画でも、大地震のつらい思い出が様々な人々によって語られる。タヘルも地震で両親を失ったのだし、若者も25人にものぼる親戚を失った。そうした悲しみを現地の人々に語らせることで、大地震についてのキアロスタミなりのこだわりを表現しているようなのだ。






コメントする

アーカイブ