オン・ザ・ミルキー・ロード:エミール・クストリッツァ

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エミール・クストリッツァの2016年の映画「オン・ザ・ミルキー・ロード」は、ユーゴスラビアの解体に伴う内戦をテーマにしてきたクストリッツアらしく、やはり民族間の戦争を描いている。この映画のなかではクストリッツァ自身が主人公役で登場する一方、内戦の虚実については触れていないのだが、これが彼が従来描いて来たボスニア内戦を念頭に置いていることは疑いない。その内戦の炎のなかで、一対の男女の愛が割かれる非合理というのが、映画の訴えていることである。

題名の「オン・ザ・ミルキー・ロード」とは、主人公の男の生業と関係がある。この男は、仲間の戦闘員にミルクを届けることを仕事としており、毎日搾りたてのミルクをアルミの容器につめ、それをロバにまたがって仲間のいる戦場まで届けているのだ。そんな男にある日、思いがけない事態が起こる。一人の美しい女が、男が雇われている農場の家に連れて来られるのだ。その女は、戦場に赴いている農場主の男の嫁になる予定だというのだ。だがそんな女に男は惚れてしまう。一方、その男には農場主の妹が惚れていて、兄が帰ってきたら、兄の結婚式に合わせて、自分も惚れた男と結婚したいと思っているのだ。

ところが男には、妹と結婚する気持ちはなく、一目惚れした花嫁候補に強く惹かれる。花嫁候補のほうも、男が気に入ったと見え、男に色目を使う。しかしこの花嫁には曰くがあった。敵方の将軍が、自分は離婚してまで、この女と結婚するつもりでいるのだ。いつかはその将軍の手が伸びて来るに違ない。そうしたらやっかいなことになる。

そのうち、内戦は停戦となり、一時的に平和が訪れた。そこへ戦場から農場主が帰って来て、いよいよ花嫁候補と結婚式という段取りになる。農場主は妹にせがまれて、妹を男と結婚させることにする。男はいやいやながらそれを受け入れざるをえない状況に陥る。そんな折に、怪しいヘリコプターがやってきて、黒ずくめの兵士たちをパラシュートで村に落下させ、村中を焼き払うという暴挙に出た。どうやら、敵方の将軍がその背後にいるらしい。この将軍は、花嫁に逃げられたという屈辱を晴らすために、花嫁を奪った農場主は無論、花嫁の命まで狙っているのだ。

この襲撃によって村は焼かれ、農場主とその妹も焼死する。そこでミルク運びの男は花嫁候補を連れて、敵の追跡から逃れようとする。敵はそんなかれらをどこまでも追いかけて来て、花嫁はついに彼らによって殺されてしまうのである。

こんなわけでこの映画は、一組の愛し合う男女が、内戦の犠牲となって死の別れを強いられる不条理を描いているのである。映画の見どころは、かれらが敵の追跡から逃れるところにあるが、その逃避行に、男が日頃飼っているハヤブサとか、猛毒の大蛇などが一枚かんで来る。ハヤブサは絶体絶命に陥った男を、敵の手から救ってくれるのだし、大蛇のほうも、地雷を踏みそうになったかれらを、体に巻き付くことで救ってくれるのである。だからこの映画は、禽獣と人間との、異種間友情を描くという珍しい趣向も含んでいるわけである。

禽獣と人間とが友情を結べるのに対して、人間同士は愚かな憎しみあいしかできない、というのがこの映画の一つのメッセージだと思われる。もう一つのメッセージは、人間には戦争を楽しんでいる連中もいるということだ。この内戦にかかわりがあるものとして、ビッグ・ブラザーという不気味な団体が出てくるが、その団体は戦争を楽しむ人間の集団ということになっている。かれらにとっては、この世には戦争しかないのだし、戦争こそが生きる醍醐味なのだ。

というわけでこの映画は、ひねった戦争批判の映画になっている。クストリッツァのことだから、あまり深刻には陥らない。音楽をまじえながらサラリと戦争の真実に触れるといった描き方である。映画が作られた2016年といえば、ユーゴ内戦が終結してから15年以上たっていたわけだが、そのくらいの期間では、戦争の生々しい体験は忘れ去られるものではない。そういった思いが、クストリッツァを駆り立てて、この映画を作らせたようである。






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