ハンセン病判決への日本政府の対応

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ハンセン病患者の家族への国の責任と賠償を認めた熊本地裁判決に、安倍政権はこの判決に服し、控訴しないことを表明した。このこと自体は、小生にも評価できる。ハンセン病の問題は、患者本人ばかりでなく、家族も又塗炭の苦しみを味わってきたことを思えば、報われて当然だろう。その責任の大部分が、この問題を放置してきた国にあることを考えれば、政府が判決に服すのは当然のことだ。だが安倍晋三総理は、「極めて異例の判断だが、あえて控訴を行わない」という言い方をして、どこか恩着せがましい印象を振りまいている。どうせ謝るなら、もっとすっきり謝った方がよい、と感じたのは小生のみではあるまい。

安倍晋三総理が「極めて異例」といったことをフォローするかのように、政府機関が声明を発表した。内容的には、熊本地裁の判断を批判するものだ。要点は、関係する大臣の責任に触れているが、それは受け入れられない。また、国会議員の立法上の不手際について批判しているが、国会議員の責任に触れるのは間違っているというものだ。何のことはない、この問題に深いかかわりのある公務員には責任はないといっているわけである。判決は受け入れるが、したがって謝罪はするが、責任は認めないといっているわけで、政府機関の厚顔ぶりがうかがわれる。

安倍総理が、「極めて異例」と言ったのは、この手の裁判では、国は面子にかけて争ってきたわけで、このようにすんなり引っ込むことは「異例だ」という意味だと思うが、そうだとすれば、国の責任を素直に認めない公務員の意向を、安倍総理が代弁しているということになる。

それにしても、判決に不服があれば控訴すればよいではないか。控訴したうえでなお、原告たちの厳しい状況に同情して賠償をするというなら、幾分かは話もわかるが、控訴しない、つまり地裁の判決に服すと言っておきながら、地裁の判決には承服できないところがある、と言うのは、原告の弁護団が言う通り、負け惜しみではないのか。

ハンセン病患者の悲惨な状況は、映画でも描かれて来た。戦前に作られた「小島の春」は、ハンセン病は恐ろしい病気で、患者は無条件で隔離しなければならないといった考えかたが、当時の人びとを捉えていたことを描き出していた。戦後の「砂の器」という映画は、ハンセン病故に故郷を追われ、日本中を放浪する父子の物語だった。また近年河瀬直美が作った「あん」という映画では、一旦は繁盛しかけたどら焼き屋が、ハンセン病施設の患者がかかわっているという噂が立つと、急に客が来なくなるさまを描いた。ハンセン病への偏見がいかに根強く、しかもつい最近まで蔓延していたか、それらの映画は気づかせてくれる。

今回の訴訟が起こされたのは2016年のことだが、そのことは、ハンセン病について当事者がなかなか声を出しづらかったということを物語っているのではないか。そういう人々に対して、日本政府はもっと謙虚になるべきだろう。





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