ノーベル平和賞が殺戮を煽る

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今年のノーベル平和賞は、エチオピアの現職首相であるアビーに付与されることになった。理由はアフリカの平和に貢献したということだ。ところがエチオピアでは、アビーの強権的な政治に反発する人が多くいて、それらの人々がアビーの退陣を求めてデモを行ったところ、治安部隊が出動して、67人の死者が出る惨事となった。ノーベル平和賞とこのデモとの関連は、いまひとつはっきりしないが、エチオピアの反アビー勢力が、アビーがノーベル賞を受けることを喜んでいないことだけは確かだ。そんなことから、ノーベル平和賞がアビーに授与されることが、結果としてこの惨事をもたらしということも、否定できないようである。ノーベル平和賞が、アビーの強権政治を合理化するのを許せないというわけであろう。

ノーベル賞といえば、今年は文学賞でも物議をかもした。受賞したペーター・ハントケには、旧ユーゴ・スラビア諸国の人びとを中心として、根強いアレルギーがあるようで、そうした人々からハントケへの授与を厳しく批判する声が上がっている。批判の理由は、ミロシェビッチによる民族浄化政策を、ハントケが支持したということだ。ハントケはホロコーストとも言える残虐な行為に加担したのであり、人間性に反した行為を犯した。そういう人間にノーベル文学賞が相応しいといえるのか、というのが批判の趣旨である。

平和賞にしろ、文学賞にしろ、ノーベル賞の当局が、ある政治勢力の肩をもっていると誤解されるのは避けられないようだ。文学と政治との関係は複雑なもので、かならずしもハントケへのアレルギーがもっともだということにはならないかもしれないが、平和と政治は直結するもので、アビーのような人間が平和賞に値するとしたら、国内でどんな抑圧をしていても、問題にはならないということになりかねない。

今年のノーベル平和賞は、むしろトランプに授与したほうがよかったかもしれない。それでも過不足が出るというのならば、国連で地球温暖化の阻止を訴えた少女に授与したほうがよかった。あの少女なら、文句の出る幕はないと思うから。





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