三文役者:新藤兼人

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殿山泰司は味のある脇役として日本映画には欠くことができない存在だった。新藤兼人の映画にも、新藤の監督デビュー作「愛妻物語」を手始めに、数多く出演している。この二人は、単なる監督と俳優という間柄を超えて、共通の目的を追求するいわば戦友のような関係だったようだ。だから殿山が死んだ後、新藤は「三文役者の死」という本を書いて、殿山の霊を慰めた。また、その本をもとに殿山の映画人としての半生を描いた。三文役者というが、なにも茶化した言い方ではない。殿山自身が自分を称してそう言っていたのを、殿山の人柄をよく物語るものとして、新藤が採用したということだ。

新藤兼人には、溝口健二の半生を描いた「ある映画監督の生涯」という作品がある。溝口の映画のシーンを適宜差し挟みながら、ドキュメンタリー風に溝口半生のさまざまな挿話を紹介したその映画は、溝口を深く敬愛していた新藤の、溝口へのオマージュといってよかった。殿山を描いたこの映画は、殿山へのオマージュというか、新藤の殿山への深い友情を感じさせるものだ。殿山は、この映画を見る限り、かなりいい加減な生き方をしていたように映るが、溝口はそういういい加減さを含めて、殿山をこよなく愛していたようである。

「或る映画監督の生涯」とは異なって、一応職業俳優によるドラマという形式をとっている。そのドラマとは、二人の妻を始め、さまざまな人々との人間関係を描いたものだが、その合間に殿山が出演した映画のシーンとか、それを撮影した際のロケの苦労話などが差し挟まれ、また音羽信子を出演させて、昔語りをさせている。その音羽信子を殿山は「おかじ」と呼んでいたらしい。

殿山を演じたのは竹中直人。風貌や雰囲気に似ているところがあり、またしゃべり方も殿山の特徴をよく表現している。声帯模写を聞くようである。殿山には二人の妻がいて、そのうち若い方のキクエを荻野目慶子が演じている。映画は、殿山がキクエをくどいて、自分の妾にする話から始まるのだ。妾というわけは、殿山には、内縁ながら本妻がいて、その本妻が離婚に応じてくれないからだ。本妻は本妻なりに殿山を愛していたらしい。そこで殿山が死んだ後は、この二人の妻がそれぞれ殿山の墓を建てたということらしい。

映画の醍醐味は、殿山とキクエとのむつまじき夫婦愛を描くところだ。二人の年齢差は20歳近くもあるのだが、キクエは殿山と対等に接している。セックスの相手も嫌がらずにつとめる。最も殿山が、本妻を含めて他の女と懇ろになると、それなりに嫉妬したりはする。しかし性格はカラットしていたらしく、殿山が死ぬまでけなげにつきあった。

殿山といえば、「裸の島」のイメージが強い。この作品の構想は新藤が長く温めていたものだが、殿山に是非主役をやらせてやりたいとかねがね思っていたところ、チャンスをつかまえてやらせてやったということらしい。もっともこの映画は無言劇なので、殿山としては不満もあったようだ。この映画のほか、「どぶ」とか「人間」とか「鬼婆」とかいった映画からそれぞれシーンが差し挟まれ、またそれらの撮影光景も描かれる。

新藤の映画には、とくに円熟期の作品には、かならずといってよいほど女を裸にするシーンが出て来るが、この映画のなかでも荻野目慶子が全裸の姿を披露する。黒々とした陰毛が印象的だ。

ともあれこの映画を見ると、殿山泰司という俳優の、一人の人間としての生き方がよく伝わって来る。興味深いのは、あれほど多くの映画に出演していながら、どうも一生金には縁のないほうだったということだ。映画を見る限り、殿山は若い頃に借りた安アパートに死ぬまで住んでいたようなのだ。






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