夢:黒沢明

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黒沢明の1990年の映画「夢」は、日米合作ということになっているが、それは資金の上のことで、中身は純粋な日本映画である。日本ではなかなか映画作りをできなくなった晩年の黒澤に、ハリウッドのワーナーが資金援助して、黒澤の好きなように映画を作らせてやったということらしい。

黒沢は、どういうつもりか、この映画をオムニバス形式にした。八つの夢の場面をオムニバス風につなぎあわせたのだが、多くのオムニバス映画同様、場面相互に筋のつながりはない。てんでんばらばらな内容である。ただし、登場する人物は、寺尾聡演じる一人の男だから(その少年時代の部分も含めて)、同じ人間が見た夢の数々ということになっている。

各夢の冒頭には「こんな夢を見た」というメッセージが出てくるので、漱石の「夢十夜」を想起するが、それとはまったく関係はない。黒澤のオリジナルな夢々である。ちなみにその夢の内容を簡単に説明すると次のようになる。

第一の夢は、少年が目撃した狐の嫁入り。少年は見てはいけないものを見たおかげで、母親から厳しく叱責される。第二の夢は桃の木の幽霊たちの話。人間に切られてしまった桃の木が、桃の節句の日に、幽霊となって復讐しに来るのだが、かえって少年の気持を愛でて、踊りを披露するというもの。

第三の夢は、ここからが大人の夢になるのだが、山男たちが登山中吹雪の中で遭難しそうになり、雪女に助けられるというもの。第四の夢は、軍人に扮した男が、トンネルのなかで狂暴そうな犬に吠えられたり、また死んだ戦友たちの幽霊と出会うというもの。幽霊たちは一個小隊の軍人たちで、かれらは全滅したのであるが、生き残った男(中隊長)を恨む様子はない。かえって最敬礼する。

第五の夢は、ゴッホの展覧会を見物しているうちに、ゴッホの絵の中に迷い込んでしまった男のこと。第六の夢は、富士の裾野にある六基の原発が一斉に爆発し、天明の巨大噴火を思わせるような地獄絵が現出するというもの。第七の夢は、原水爆によって廃墟と化した地球に、人間に突然変異が生じて鬼になったという話。原水爆の放射能は、蒲公英を巨大化させる一方、人間の頭からにょきにょきと角を生えさせるのである。

第八の夢は、それこそ夢のようにすばらしい村で、男が老人と出会い、生きることの喜びを聞いたり、人々が葬式を祝う様子を見物するというもの。この舞台になった村というのが、水辺に水車小屋が連なっている風雅な眺めが、信州の安曇野にある水車小屋を想起させるが、それに比べて映画のほうがずっと規模が大きい。いったいどこだろうと首をひねってみたが、わからなかった。

こんな具合で、夢の話であるから、荒唐無稽で相互に何もつながりもないのだが、ひとつ黒沢らしいと思われるのは、原水爆へのこだわりだろう。黒澤はそのこだわりを、「生き物の記録」で表出していたのだったが、この映画では、もっとシンボリックな形で表現している。







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