八月の狂詩曲:黒澤明

| コメント(0)
kurosawa23.JPG

黒沢明の1991年の映画「八月の狂詩曲」は、長崎の原爆災害が一応のモチーフのようなので、狂詩曲というよりはレクイエム(鎮魂曲)といったほうがふさわしいかもしれない。実際この映画の中では、家族を原爆で失った老婆たちが、般若心経を読む場面が度々流される。土地柄、讃美歌を歌わせてもよいところかもしれない。

原爆災害の他にもうひとつ、兄妹の同胞愛がテーマになっている。この映画の主人公は高齢の老婆なのだが、彼女には十数人の同胞がいて、いまでは彼女とハワイに住んでいる次兄との二人しか生き残っていない。その次兄が、死ぬまでに是非、唯一の肉親である妹に逢いたいと願う。そこで妹をハワイに招こうとするのだが、妹は自分の代わりに二人の子どもをハワイに行かせ、かれらが不在にしている間に、四人の孫と一緒に、長崎郊外にある一軒家に暮らすこととする。老婆にとっては、はるか昔に別れた兄と会うよりは、孫たちと一緒に水入らずの暮らしができることこそ、喜びに耐えないことなのだ。

かくして映画は、老婆と彼女の四人の孫との暮らしぶりを淡々と映し出す。孫は男女二人づつで、姉弟、兄妹の組合せだ。家はかやぶき屋根の木造平屋で、原爆が落ちた時と同じたたずまいということになっている。その家の庭で、若かった老婆は長崎方面に上がった巨大なキノコ雲を見たのだった。その時彼女の夫、つまり孫たちにとって祖父にあたる人は、爆心地の近くにあった学校で被爆した。彼は学校の教師だったのだ。老婆もやはり同じ学校の教師していたことがあり、二人は職場結婚したのだった。祖父は即死したらしく、若き老婆が探しにいっても、遺体すら見つけることができなかった。

家には祖父の形見というべきオルガンが残されていて、そのオルガンを兄が調律しようとする。映画は、その調律しようとする兄を映すことから始まるのである。孫たちは、老婆とのんびりと暮らす一方、長崎の市街を散策したり、祖父が死んだという学校の現場を訪ねたり、老婆の弟がよく遊んだという山中の池に遊んだりする。映画は大部分が、そんな孫たちと祖母との心のこもった触れ合いを描くことに費やされるのだ。

そのうちに、ハワイから孫たちの親たちが戻って来る。親たちは、老婆を説得してハワイに行く気にならせ、自分たちも老婆に同行してもう一度行くつもりなのだが、老婆はなかなか首を縦にふらない。そのうちに、ハワイの次兄の息子クラークが老婆を訪ねて来る。彼は父親に命じられて、父親の妹である老婆をハワイにつれていくつもりなのだ。老婆はその意向に折れるのだが、夫の命日である八月九日以降にして欲しいという。かくて八月九日には、近在の人たちで、やはり原爆で家族を失った人々が、合同で法要を行う。その場でも般若心経が読まれる。その様子をクラークは、印象深い様子で見守る。やっとハワイに向けて出発という段取りになったところで、ハワイから電報が届き、次兄が死んだとの知らせがある。その時になってはじめて老婆は、自分が次兄に会うべきだったと深く悔いるのである。

こんな具合でこの映画は、なにがメーンテーマなのかちょっと曖昧な所がある。長崎の原爆災害がテーマだとしたら、取り上げ方があっさりしすぎている。また老婆と孫たちの触れ合いがテーマだとしたら、老婆に陰影がありすぎて、孫たちにも理解できないところがあったり、映画としてはちょっとすっきりしないところがある。そうした筋書き上の難点を脇に置けば、豊かな自然の中にくりひろげられる人間同士の触れ合いが情緒豊かに描かれていて、それなりに見せるものとなっているのではないか。






コメントする

アーカイブ