あにいもうと:成瀬巳喜男

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成瀬巳喜男の1953年の映画「あにいもうと」は、室生犀星の同名の短編小説を映画化したものだが、すでに戦前の1936年に木村壮十四が映画化していた。わずか20年足らずでの再映画化というのは、このテーマが当時の日本人に受けていたということだろう。それにしては、登場人物たちの考え方がかなり古風なので、今見ると時代の流れを強く感じさせられる。

筋書は木村のものとあまりかわらない。ただ二つばかりひねってある。一つは、父親の存在感がより強くなっていること、もう一つは、下の妹に恋人がいることだ。この恋人というのが甲斐性なしで、親に屈服して恋愛を成就できないのだ。そんな煮え切らない相手に、久我美子演じる妹はただただ忍耐するのである。

兄を森雅之が、上の妹を京マチ子が演じている。木村の映画では、この兄と妹が、えんえんと罵りあうのだが、この映画では、罵りあう場面は一つだけである。それは、自分を訪ねて来たかつての恋人を、兄が半殺しにしてやったというのを聞いた妹が、誰がそんなことをしてくれと言ったか、といって突っかかるシーンである。京マチ子には、人と争う場面を得意とする所があり、怒りに狂った顔こそ、彼女の最も美しい表情だと言ってもよいくらいなのだが、この映画の中の京マチ子の怒りの表情はあまり迫力を感じさせない。というのも彼女は、最初の頃は兄から罵られて涙を流すような気の弱い女として描かれているので、迫力に欠けるのである。とはいっても、この映画の最大の売り物は京マチ子が出演していることにある。京マチ子が出ている成瀬映画はこれだけなのである。

一方兄を演じた森雅之は、荒くれの職人という役柄がどうも似合わない。だから上の妹のかつての恋人に怒りをぶつける場面も、どうも迫力に欠ける。俺がこんなに怒っているのは、大事な妹を台無しにされたからといって森は怒るのだが、それはどうも惚れた女を取られた腹いせではないかと受け取らせるようなところも感じられる。森にはこんな役よりも、知性を感じさせるような役が似合っている。

一番光っているのは、母親を演じた浦部久米子だ。浦部は成瀬の映画「稲妻」にも出ていて、やはり人のよい母親を演じていたが、こういう役を演じさせると天下一品の演技をやってみせる。父親を演じた山本礼三郎は、時代に取り残された頑固者の風情を出していたが、これも森同様ミスキャストだったようだ。山本には、「酔いどれ天使」におけるような、ニヒルなやくざの役が似合う。






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