モディ政権のヒンドゥ・ナショナリズム

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先日安倍総理が、インドのモディ首相との間で予定していた首脳会談を中止したが、理由は治安が極度に悪化していることだと伝えられた。治安を悪化させているのは、インド各地で沸き起こっている政府への抗議デモだ。特に首都のニュー・デリーでは、デモの規模は大規模なものになっている。その理由は、モディ政権が進めているヒンドゥ・ナショナリズムというべき政策にある。この政策は、ヒンドゥ教徒を優遇する一方、イスラム教徒を差別するもので、差別された形のイスラム教徒が抗議デモとか暴動騒ぎを引き起こしている形だ。

モディ政権のイスラム差別は、インド市民権の見直しという形で現われ、イスラム教徒が市民権をとるのが困難となるような事態が起きている。又長い間高度な自治を認められてきたジャムール・カシミール地域を、インド政府の直轄地にして、直接統治に乗り出した。この地域はイスラム教徒が圧倒的な人口比率を占めるので、そうしたイスラム教徒たちが、モディ政権に強く反発している。

こうした政策でモディ政権が目ざしているのは、イスラム人口の縮小だと言われる。ヒンドゥを中心にした国づくりをするうえで、イスラム教徒の存在は目障りだということらしい。しかしインド国内にいるイスラム教徒の数は二億人にものぼる。そんな膨大な数の人間をたやすく消滅させることは不可能というべきである。

モディ政権は、ヒンドゥ教徒とイスラム教徒を差別・対立させるのではなく、共存できるように計らうべきだ。国民同士が分断していては、望ましい国づくりはできないと知るべきである。インド国民の分断は、カーストがいまだに生きていることにも基づいている。インドはいまだに、身分と宗教と、二つの基準に基づいた分断社会となっているのである。

中国がこれまでの発展を見たのは、国民の間に強い分断がなかったからと言える。チベットやウィグルの問題を抱えてはいるが、中国本体では漢民族が圧倒的であり、その漢民族の中には、基本的には身分や宗教による差別や分断はない。だからこそ、驚異的な発展を遂げることができた。インドも中国並みに発展したいと思うなら、宗教や身分による分断を解消し、国民が一体となって発展に取り組む体制をとることが必要だ。分断社会に明るい未来はないと知るべきである。





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