老いたるニホンの会:大江健三郎「憂い顔の童子」

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大江は1960年安保を前に「若い日本の会」というものにかかわった。その会には石原慎太郎とか黛敏郎のような民族派の右翼もいたが、おおむねリベラルな人間が集まっていたといってよい。この「若い日本の会」のメンバーだった一部の連中を、大江は「憂い顔の童子」の中で取り上げて、かれらの活動をパロディ化している。大江なりの同時代批判といってよい。

かれらのことを、例によって実名を多少ひねった形で言及している。芦原とか迂藤とか蟹行といった具合だ。芦原は石原慎太郎のことだろう、芦原の「あし」は「悪し」をひねったものらしい。迂藤は江藤淳のことで、迂闊なやつだというわけだろう。蟹行は浅利慶太のことらしい。蟹とアサリとはどちらも海辺にいるものだ。これらは嘲笑の気分を感じさせるが、一方大江が尊敬している人には、敬意を表したネーミングをしている。たとえば武満徹を篁といっているのがそれだ。篁は竹群という意味だが、日本の歴史を彩る才人「小野篁」をもイメージさせる。

この「若い日本の会」の一員だったという人間を、大江はこの小説の中に登場させて、重要な役割をさせている。黒野という人物がそれだ。この男は集団を組織する能力に優れた人間として描写されているのだが、誰をモデルにしているのか、はっきりとはわからない。小生なりに推測してみたが、ぴったりと当てはまる人物が思い当たらないので、あるいは大江の創造した人物像かもしれない(言葉の語感からは黛敏郎が連想されるが、具体的な人物像には、黒野と黛に共通点はない)。その他に数人の人間が、「若い日本の会」のかつてのメンバーとして登場し、その連中が大江とともにひと騒ぎ起こすというふうになっている。その連中の集まりを大江は、「老いたるニホンの会」と名づけるのだが、これは老いたメンバーからなっている会という意味か、それとも老いてしまった日本という国をイメージしているのか。

「老いたるニホンの会」の挿話は、四国の山の中に閉じこもった古義人に、黒野がアクセスしてきたことから始まる。古義人は、当初は身構えるのだが、そのうち黒野の話術に乗せられる形で、かれの計画にかかわるようになる。その計画とは、松山のホテル経営者に協力する形で文化的な催しをするというもので、それに高名な文学者である古義人にも加わってもらうほか、かつての「若い日本の会」の他のメンバーにも声をかけるという内容だった。古義人は、黒野の巧みな話術に誘導されるようにして、その計画にかかわるようになる。

こうして黒野の組織力によって、一定規模の集団が形成され、いよいよ計画を実行する段取りとなる。ホテルに大勢の客を駆り集め、その連中を対象にして、講演会とかセミナーとかを実施しようというのだ。だが、古義人は、ちょっとしたいざこざがあって、この計画から降りることにする。そのいざこざというのは、ローズさんがホテルの経営者によって侮辱されたことに腹をたてた古義人が、ホテルへの協力を拒絶したというものだった。

この計画は、古義人の名声をあてにしたもので、古義人がいないと、ほとんど意味がないのだ。だから消滅することになるだろう。それでは面白くないので、「老いたるニホンの会」としては、別に自主的な催しを実施しようではないか、ということになる。それは1960年にかれらがおこなったデモを再現しようというものだった。かれらは、講演会の聴衆である現代の若者から、当時のデモの本気度を疑われて、それに反発する形で、自分たちのデモを再現し、その本気度を認識させようというわけなのだ。しかし老いたる身でデモを行ったからといって、なにほどの意義があるだろうか。だいたい、デモというのは、なにか具体的な目標をもったものでなければ意味がない。ところがこの老いたる日本の会の連中は、何も目標など持たない。自分たちのデモの威力を見せつけるのが、目標と言えば目標だが、そんな目標は自己満足以外のものではないだろう。

このデモの騒ぎのなかで、古義人は瀕死の重傷を負ってしまうし、黒野は心臓発作で死んでしまう。古義人が重傷を負った事故というのは、何者かによって両側から拘束され、それに抵抗しようとしてもみ合っているうちに、脳を挫傷したというものだった。小説は、脳を挫傷した古義人が、童子としての自分の子供の頃に思いをはせ、かれの傍らでは、ローズさんと千樫とがかれの回復を祈りつつ、彼が子供の頃に聞いた占領軍の音楽に、CDを通じて聞き入ろうとする場面で終わっている。

こんな具合で、「老いたるニホンの会」の挿話は、古義人を意識不明の重体に導く役割を持たされているのだが、それ以外には大した役割は果たしていない。大江はかつての「若い日本の会」を小説の挿話として持ち込むことで、同時代批判をするとともに、自己批判もしたいと考えていたのではないか。デモの再現というアナクロティックな行為をパロディとして演じさせることで、かれらを批判したつもりだったのかもしれないが、それには古義人も参加して、しかも重傷を負ったわけだから、むしろ自己批判といってもよい。他者の視点からの自分への批判としては、大江は「老いたるニホンの会」のメンバーではなく、全く無関係の評論家加藤典洋に一役持たせている。

大江は、加藤による大江批判をこの小説のなかで取り上げるのだが、大江が批評家を実名で持ち出し、その論旨を詳細に取り上げるのは異例のことだ。大江が取り上げる加藤の論旨とは次のようなものだ。大江の小説「取り替え子」の中で、アレというのが出て来るが、その「アレ」というのは、大江の実際に体験したことにちがいない。だからもっと生々しく描けるはずのところ、大江はわざとぼかして描いている。それには大江の内部に、その体験にたいする複雑で両義的な感情が働いて居るのではないか。こんな批評に接して大江は何を思ったのか。おそらく加藤を馬鹿だと思ったのではないか。加藤にはそういう馬鹿なところが確かにある。加藤は村上春樹論も書いているが、その論旨は大江の場合とよく似ている。つまり村上は自分の実体験を小説に書いているというのだ。

こういう批評のやり方は、作家の想像力を馬鹿にしたものだ。粗雑なやり方と言ってよい。そういう粗雑さに大江はあきれ果てて、わざわざ実名を挙げながら、加藤の論旨を批判して見せたのであろう。






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