ミシマ問題:大江健三郎「さようなら、私の本よ!」

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大江健三郎には、自分は戦後民主主義の担い手だという自覚があって、民主主義がきらいな人たちを嫌悪していた。そうした嫌悪は、たとえば石原慎太郎のような反民主主義的な国家主義者を「あし(悪)はら」と呼んだり、江藤淳を「う(迂)とう」と呼んだりするところにあらわれている。ところが三島由紀夫に対しては、無論基本的には嫌悪しているようだが、評価しているところもある。その評価の部分を含めた自分の三島評を、大江は「さようなら、私の本よ!」の中で、披露している。

大江は三島を本名で呼んでいる(ミシマと片仮名で書いてはいるが)。これは三島への敬意を表明しているのだと思う。大江が三島に敬意を感じるのは、立場は異なりながら、その生き方に誠実さを感じたからだろう。三島は「盾の会」というものを組織し、そのメンバーの若者をそそのかしてクーデタ騒ぎを起こした。そして、若者に介錯されて切腹自殺をし、その若者も三島を追うようにして死んだわけだが、その死にざまの如何はともかく、自分のために命を捧げてくれる若者がいたということは、大江にとっては、並大抵のことではない。この小説の中で大江は、そのことについての自分の気持を次のように表現している。「大学紛争当時の、先端をいくジャーナリストにさ、長江のために死ぬ人間がいるかと嘲笑されてね。そういうことじゃないんだが、と思いながら、それでも赤面したよ」

つまり三島には、大江にはないものがあった、ということを、大江は認めざるをえなかったのだ。その気持ちが大江を赤面させたというわけだが、なぜ大江は赤面したのか。

大江は別の小説(新しい人よ目覚めよ)のなかで、三島の死を取り上げていた。三島の体格が話題になったところで、障害を持つ息子が、三島の身長はこれくらいでしたと言って、地上三十センチほどのところを手で示す場面が出て来る。これには三島を矮小化しようとする大江の意図を、読者は感じるのではないか。そういうところについて、この小説の中では、「長江さんはミシマに対して、derisivelyに振る舞うところがある、ともシゲさんから聞いています・・・」とウラジーミルに言わせている。それに対して椿繁は、「コギー、おれたちの世代だと、mockinglyというところだねえ、人を小ばかにしたように・・・そういう意味だ」と付け加えている。

これはおそらく、三島に対してフェアではなかったという大江の反省が書かせた場面ではないか。

クーデタをめぐる三島の行動を、この小説の中でもっとも高く評価しているのは、ウラジーミルだ。ウラジーミルにとっては、三島の行動は無意味だったわけではなく、日本の未来にとって重要な影響を及ぼす可能性があったし、いまでもその可能性が無くなったわけではない。そう言って、三島の行動の意義を高く評価するのだ。ウラジーミルとしては、三島はあの場面で切腹自殺するべきではなく、むしろ生き延びて、自分の影響力を高める努力をすべきだったということになる。だが実際には死んでしまった。それでも彼の死が無駄死にだということにはならない。それにしてもなぜ三島は、死ぬことを選んだのか。

この疑問に関して、三島の文学と彼の生き方との関連が話題になる。まず、ウラジーミルが長江に向って疑問をぶつける。「ミシマは、長編小説を構想する時、最期の一行が決まらないと書き始めなかった・・・といいますが、本当でしょうか?」と。それに対して長江は、「小説を書き始める前に、作家は物や、時と場所や、そして最初のあたりの進行を決める。大体、それくらいで書きだすのが普通じゃないだろうか? そのようにして書き進めるうちに、その書き進めること自体が力を発揮して、作家になにを書きたいか教える。そういうのも、むしろ普通のことだからね」

この場面は、創作態度をめぐる三島と大江の相違をあぶりだした部分だが、小説として肝心なのは、これに続く部分だ。ウラジーミルはこう言うのだ。「ミシマは自分の人生のプログラムも決めていた。とくに後半については、主人公の自分が言う最後の台詞をまず決めておいて、そこへ向けて人生を作ったのじゃないでしょうか?」と。もしウラジーミルの言うことがあたっているなら、三島という人間は、実に意図的に自分の人生を生きたということになる。それは自分などには到底できない芸当だ、そう大江は感じたのではないか。

それにしても、むざむざ無意味に終わることがわかっていて、それに向って自分の人生を作るような生き方が、果たしてまともな生き方だろうか、とウラジーミルは新たな疑問を提起する。「ミシマが自衛隊のクーデタを構想した時、真面目だったか、ということです。つまり実現可能性のあるプログラムとして構想していたのか」。もしそうではなく、行き当たりバッタリに行動したのであれば、「そのような人間は病的だと思いますが・・・」とウラジーミルは言うのだ。

だが、ウラジーミルは、ミシマが病的だとは思っていない。ミシマは、自分の最期を頭に描きながら行動を始めたのではなく、むしろ長江の小説の書き方と同じように、まずはおおまかな見取り図を作って、試行錯誤的に始めたのではないか。だから、かれの行動があのような形に終わったのは、最初から意図していたことではなく、成行上そうなってしまったのではないか。そのようにウラジーミルは推測して、ミシマの不幸に同情するのである。

その同情と同じような感情を、作者の大江も感じたのかどうか、それはこの小説の文面からは伝わってこない。だが、ミシマの死はかならずしも、全面的に無意味だったとも思われない、というふうに考えているらしいところが、次のような古義人の言葉から、おぼろげながら伝わって来るだけである。古義人は言うのだ、「シゲのいうとおり、この国にいままで無かった扇動家が現れて、かれのもとに、やはりかつてなかったタイプの若者が終結するということになれば、とぼくも考えずにはいられないよ・・・とくにおかしなところのある若いやつに、自分の中からせっつかれるとね。そいつに揺さぶられて目をさましては、寝酒をやり直しながら、考えずにはいられないだろう」。この、今まで無かった扇動家と、かつてなかったタイプの若者のプロトタイプとして、三島と盾の会の若者を、大江は位置付けているようにも思えるのである。

以上、三島由紀夫に関わる問題群を大江は、「ミシマ問題」と呼んでいるわけである。






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