「牡丹孔雀図」も三井寺円満院の祐常門主の依頼で描いた。応挙は農民出身で、主流派の狩野派にも属さなかったが、比較的若い頃から名声が高かった。その背景には、天皇家に連なる祐常門主や豪商三井家の保護があった。
牡丹と孔雀を組み合わせるのは吉祥図の伝統だ。牡丹も孔雀もそれ自体としてめでたいイメージを持たれていたので、その二つを組み合わせることでめでたさの度合いが高まると思われたのだろう。数多く描かれた。
大きな西湖石の上に庭の孔雀がとまっている構図。羽が大きく身をそりかえしているのがオス、その後ろで従順そうにしているのがメスだ。西湖石もまた目出度い石として人気があった。
その西湖石の根方から牡丹の花が咲きほころびている。その可憐な色合いが、孔雀のどぎつい色合いと対象をなしている。
(明和八年<1871> 絹本着色 131.5×191.3㎝ 萬野美術館 重文)
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