暴力に逆らって書くその二

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大江健三郎が、往復書簡の二人目の名宛人に選んだのは、南アフリカのユダヤ系女性作家ナディン・ゴーディマである。ゴーディマは南アフリカにおけるアパルトヘイトの暴力を批判していたことで知られていたが、大江はそれを踏まえて、日本における暴力の問題、とくに子供の暴力について問題提起する。その当時の日本では子どもの暴力が社会問題化していたのである。それについて、その責任を戦後の教育に押し付ける議論が日本では盛んであるが、それは違うだろうというのが大江の意見である。これに対してゴーディマは、子どもが育つ環境が大事だという、ある意味常識的な返事をしている。

三人目の名宛人アモス・オズはイスラエルのユダヤ人作家である。イスラエルのユダヤ人としては穏健な立場をとり、ユダヤ人とパレスチナ人との平和共存を主張していることで知られている。双方が50パーセントの満足で妥協して、それぞれの国に別れることが必要だというのがかれの主張である。大江は、エドワード・サイードとの間で交流があることを明かしながら、寛容の精神が大事だと訴えている。つまりイスラエルのユダヤ人が、パレスチナ人に対して寛容の精神を以て臨むべきだと言いたいのであろう。それに対してオズは、寛容の精神を持つべきなのはむしろアラブ人のほうだと言いたいようである。アラブ人はイスラエルの存在そのものを認めようとしない。それでは平和的共存は成り立たないというわけである。

四人目の名宛人バルガス・リョサは当時国際ペンクラブの会長だったが、日本滞在中のかれに会いに行ったところ、日本のペンクラブから拒絶された逸話を紹介しながら、大江は不寛容について語る。それに対してバルガス・リョサは、世界のペンクラブのなかには検閲や作家の政治的弾圧に対して戦う姿勢を貫いていないものがあることを認めながら、いわゆる「低カロリー文学」に言及している。「低カロリー文学」というのは、文学のもつ社会的・倫理的意義をあざ笑い、大衆受けをねらうということらしい。大江はまた、反戦についても語るのだが、それに対してバルガス・リョサは、反戦論が成り立つには人間観や道徳的責任についての共通の理解があることが前提だと、かなり悲観的な答えをする。

五人目の名宛人はスーザン・ソンタグ。彼女は当時NATOによるコソヴォ空爆を支持したことで話題となっていたが、そんな彼女に向けて大江は、コソヴォ問題に深入りすることは避けて、暴力一般についての議論と、日本がかつておかした暴力的な他国侵略についての反省を述べる。そして自分は、日本ではいまや侮蔑語になりつつある民主主義と知識人という言葉にこだわりたいと言う。それに対してソンタグは、「戦争を嫌悪する心は、文明化された人間の証です」といいながらも、コソヴォのような人間的な悲劇を避けるためには、ときには戦争も必要になると言って、自分の立場を弁明している。

六人目の名宛人テツオ・ナジタは日系アメリカ人で、日本文化の研究者。特に懐徳堂に関する研究を通じて、日本にも独自な思想があったことを、世界に広く紹介した。大江はそんなナジタに親近感を覚えるらしいのだが、それは自分自身、父親の生き方を通じて、懐徳堂が発信していた庶民的な生き方の哲学に共感したというふうに伝わって来る。そんな大江に対してナジタは、大江が自分の本を読んで褒めてくれたことに感謝しながら、日本は「西洋のまなざし」にひきずりまわされるのではなく、もっと自立した道を歩むべきだと勧めている。

七人目の名宛人鄭義(チョンイー)は、莫言と並んで現代中国文学を代表する作家である。天安門事件の指導者の一人として指名手配を受けたことでも知られる。そんな鄭義に向って大江は、日本が彼の安住できる地でなかったことを、つまりかれが日本に亡命できなかったことをあげながら、日本の鎖国的傾向を憂えている。そんな大江に対して鄭義は、自分にも愛国心はあるのだといって、「西の方陽関を出ずれば故人無からん」という王維の有名な詩の一句を引用するのである。

八人目の名宛人アマルティア・センは、インドの経済学者で、主に途上国の経済政策を研究している。所得分配の不公平や貧困・飢餓について政策的な提言をしていることで知られる。そんなセンと大江は、面識はなかったようだが、日本の経済学者宇沢弘文に重ね合わせながら、親しい感情はもっていた。その感情を大江は手紙でぶつけることで、対話を成立させたいと願ったようだ。そんな大江に向ってセンは、大江がとかく否定的になる日本という国の成り立ちについて非常に高く評価する。日本は、貧しい国にとっての手本であるというのである。日本の「だれも想像できなかったような成功は、一世紀にも満たない間に遅れていた経済を世界で最も豊かな国の一つに押し上げ、今では多くの国々に夢と希望を与えているのです」と言って称賛するのである。

九人目の名宛人ノーム・チョムスキーは、有名な言語学者だが、政治の分野でも意見を発信し、9.11をめぐっては、アメリカには報復する資格はないと言ってセンセーションを巻き起こした。そんなチョムスキーに向って大江は、連帯の挨拶を寄せるのであるが、それに対してチョムスキーも、共感を寄せるという、大江にとってはうれしい展開となったようである。

十人目の名宛人エドワード・サイードは、パレスチナ系アメリカ人として、パレスチナの立場を擁護し続けていることで知られている。そのパレスチナは、アメリカでは全くといってよいほど同情されておらず、9.11以後はイスラモフォビアがはびこるようになって、テロリスト扱いをされるばかりと嘆いている。そんなサイードに向って大江は、同情の気持を披露するのだが、それに対してサイードは、パレスチナ人の置かれた窮境について、大江が発言してくれることに感謝している。

十一人目で最後の名宛人ジョナサン・シェルは、アメリカの反核運動家。自身も反核運動に携わってきた大江にとっては同志のような親密さを覚える人物だ。そんなシェルに向って大江は、連帯の呼びかけをする。それに対してシェルのほうも、「広島に対する無関心は、人類の未来に対する無関心にほかなりません」といって、大いに同調するのである。

以上大江が往復書簡のパートナーに選んだ人々は、なんらかの形で大江と問題意識を共有していると言える。その問題意識は多岐にわたっているようで、意外に少ないテーマに集約できるのではないか。それは大江のこだわっている民主主義であったり、個人の尊厳であったり、地球の未来だったりするわけだ。特に核の問題は、地球の未来そのものを左右する大きな問題だ。そういう問題について、大江が書簡を通じて語り合ったことは、地球への切実な関心を物語るものになっている。






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