プライバシーが丸裸

| コメント(0)
「プライバシーが丸裸」と題して、NHKがIT時代における個人情報のあり方について特集する番組を放送した。これまでプライバシーの保護といえば、政府など公共の権力から個人の自由を守るという文脈で論じられてきたが、今日では巨大IT産業による個人情報の収集とそれによるプライバシーの侵害といった事態が強く懸念されるようになってきたという。その動きは、なし崩し的に進んできており、このままだと近い将来に個人のプライバシーは、それこそ丸裸にされるのではないかと強く危惧されるところだ。

番組では、先般大学生の内定辞退可能性についての情報を、一企業が商売として売りつけていた事例が明らかになって、社会問題化したことを紹介していた。この例などは、プライバシーが金になることで、将来その侵害が進むのではないかと警告していたわけだが、たしかにその恐れには根拠がある。

この問題のやっかいさは、自分の知らないところで、自分についての情報が勝手に集められ、それが勝手に加工されて商売の対象となることだ。それを可能にしたのはIT技術の進歩だ。クラウドという手法が実用化したおかげで、膨大な情報が自由に加工できるようになった。その結果、いまでは特定個人について、限りなく本物に近い像を表現できるようになった。それを番組はリアルに対するデジタルなコピーというふうに言っていた。

デジタルな個人情報は、特定個人の行動とか思想とかを含めて、その個人の全面的な把握を可能にする。それが権力によって使われると、個人のリアルタイムの把握が可能になり、その行動をコントロールすることを可能にする。つまり、ディストピアが現実化するわけだ。実際に香港では、デモ参加者のデータを官憲がリアルタイムに把握し、弾圧に利用していたことを、この番組は明かにしていた。恐ろしいことである。

ところが、人びとの多くは、そうしたことへの懸念よりも、IT技術がもたらす便利さのほうを重視しているという。多少プライバシーが裸にされても、便利さのほうが効用が高いということらしい。これは、権力が一方的に個人の把握に努めないでも、個人のほうで積極的に協力するということだ。これはこれで非常に恐ろしいことだと言わねばならない。

プライバシーが丸裸にされた状態を、情報ポルノと表現できよう。われわれは情報ポルノのプレーヤーにさせられつつあるわけだ。





コメントする

アーカイブ