日曜日には鼠を殺せ:フレッド・ジンネマン

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フレッド・ジンネマンといえば、ゲーリー・クーパーをフィーチャーして、孤独な保安官が悪党どもに単身立ち向かうところを描いた「昼下がりの決斗」を作って、西部劇に革命的な変革をもたらしたと評価されている。それから12年後の1964年に作った「日曜日にも鼠を殺せ(Behold a Pale Horse)」も、やはり孤独な男が強い男を相手に単身立ち向かうところを描く。その点ではこの二つの作品は相似的だ。

「昼下がりの決斗」は、結婚したばかりの保安官が、新妻の静止を振り切って、悪に立ち向かうところを描いていた。それに対して「日曜日には鼠を殺せ」は、スペイン内戦の傷跡のようなものがテーマである。グレゴリー・ペック演じる共和派のかつての英雄が、フランコ派の警察署長を相手に、仲間を殺された復讐をするというのが粗筋である。クーパー演じる保安官は、悪人を退治して自分は生き残るが、ペック演じる共和派の英雄は、返り討ちにあって殺されてしまうのだ。

舞台は、内戦終了後の1959年の西仏国境を挟んだ空間。グレゴリー・ペック演じる元英雄マヌエルは、国境に近いフランスの町ポーのスペイン人集落に暮らしている。時折国境を超えて、略奪を働いているので、スペイン警察から目の敵にされている。そんな彼のもとへ、一人の少年が訪ねて来る。用件は、自分の父親を殺した警察署長に復讐してほしいというものだった。父親は、あなたの情報を明かさなかったために殺されたのだから、あなたには復讐する義理があるという理屈だ。

マヌエルは最初、少年の言い分を取り合わなかったが、やがて心が動いていく。それにはいろいろな事情が重なった。瀕死の母親を人質にとられておびきよせられたりとか、信頼していた仲間に裏切られたとか、また母親の意を受けた神父との対話とか、さまざまな事情が彼に影響して、少年の言う警察署長への復讐を決意するのである。

かれは、地中に隠していた武器を掘り出し、それを持ってスペインの町にやってくる。その町の病院では、警察がかれの到来を予想して罠を仕掛けている。マヌエルはそのことを十分に知りながら、無謀にも病院に潜り込み、待ち伏せしていた警官隊と派手な銃撃戦を演じた末に射殺されてしまうのである。アンソニー・クイン演じる警察署長も、マヌエルの一撃を食らうが、命に別状はなかった。だから勝利したのは警察署長だというメッセージを発しながら映画は終わるのである。

終わり方が、映画としてはあっけないので、観客は多少の欲求不満を感じるかもしれない。それがまた、この映画の迫力だと言えないこともない。

スペイン側の舞台となったサン・マルティンという町は、スペイン地図で確かめることができなかった。おそらくバスク地方辺りに設定されているのだろう。フランス側の舞台になったポーという町は、ピレネー地方の、西仏国境から遠くないところにある。カトリックの聖地ルールドも出て来るが、ルールドはポーの東に位置している。そのルールドの教会に集まった病人たちの様子が迫力を以て映されている。ここに参ると、どんな病気も治してもらえるという信仰が根強くあるのだ。

原題は「青ざめた馬を見よ」という意味で、ヨハネの黙示録の中に出て来る言葉である。「これに乗るものの名は死。黄泉がこれに従う」という言葉がそれに続き、映画の冒頭でも紹介される。それが「日曜日には鼠を殺せ」という邦題になったのは、エメリック・プレスバーガーの原作のタイトルからとったようである。





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