
鏑木清方は、大正十二年(1923)の郷土会に「桜姫」と題する作品を出展した。清玄・桜姫ものに題材をとったものだ。これは清水寺の僧清玄が、高貴の姫君桜姫に懸想したうえで悶死し、死後も桜姫にまとわりつくという物語で、徳川時代には大変人気のある話として、さまざまな狂言の材料となっていた。もっとも有名なのは、四代目鶴屋南北作「桜姫東文章」、清方はこれを材料にして、この絵を描いたようだ。
一人の女が立ち姿で、着物の袖を顔にあてて、何かを避けているように見えるのは、おそらく幽霊となって現われた清玄から逃れようとしいているのだろう。腰をひねったその姿は、幽霊を恐れているというよりは、男を挑発しているようにも見える。実際、狂言の中の桜姫は、最期は女郎に身を落とすほどの、魔性の女として描かれているのである。

これは桜姫の上半身を拡大したもの。眉をひそめ、唇を引き締めているのは、拒絶の決意を意図的に表現しているのか。それにしては桜姫は、弱々しい女には見えない。
(1923年 絹本着色 135.5×50.3㎝ 新潟県立近代美術館)
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