パラダイス・ナウ:ハニ・アブ・アサド

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過日イスラエル映画「オマールの壁」について紹介したが、「パラダイス・ナウ」は、同じ監督ハニ・アブ・アサドが八年前の2005年に作った作品だ。前作はユダヤ人によるパレスチナ人の迫害がテーマだったが、こちらはパレスチナ人によるイスラエルへの自爆攻撃がテーマだ。

イスラエルのユダヤ人による暴虐に対して、パレスチナ人は二度にわたるインティファーダで抵抗の意思を示したが、21世紀に入ると、自爆攻撃が盛んになった。これは身体にダイナマイトを巻き付けたパレスチナ人が、ユダヤ人の大勢いるところで爆死するというもので、一時はユダヤ人たちを震え上がらせた。しかし、その後はほとんど見られなくなった。自爆攻撃を仕掛けても、パレスチナ人の境遇がよくならないため、あきらめのムードが広がったためだと言われている。

自爆攻撃といえば、大戦末期に日本軍が採用した神風特攻が先駆的だ。神風特攻は、強力な米軍に追い詰められた日本軍が、苦肉の策として案出したもので、若者の命を無駄に奪っただけで、ほとんど効果はなかった。死んでいった若者は、靖国神社に祀られることに、かすかな慰めを見いだしたと言われるが、パレスチナの若者はどうか。自爆攻撃は、若い女性を含む若者たちによってなされたが、彼らあるいは彼女らは、喜んで、つまり志願して自爆攻撃に参加したそうだ。彼らが、死を恐れなかったことは、宗教的な信念のおかげである。つまり、大義のために死ねば、神によって天国に召されると信じていたのだ。

この映画に出て来る二人の青年も、そうした信念に支えられて自爆攻撃に参加する。映画の中では、自爆攻撃が連続的になされているというふうには伝わってこず、攻撃の対象となったユダヤ人たちに、警戒の様子が薄い所を見ると、おそらく最初の自爆攻撃だったのではないかと思わされる。

特攻隊もそうだったかもしれぬが、この映画の中の二人の青年も、自爆することについて一抹の疑念がないわけではない。神への信仰によってその疑念を弱めようとするのだが、命を失うことへの恐れは強い。結局二人のうちのひとりは、途中で計画から降りてしまい、一人だけが任務を遂行するのである。

映画は、二人の青年がパレスチナ人抵抗組織に選ばれて自爆攻撃の要員とされるところから、攻撃の実施に至る過程を、リニアな時間軸にそって描いていく。一旦は計画が破綻して攻撃を中断する。その合間に、一人の若い女性が彼らの意図を知って、自爆をやめさせようとしたりもする。二人のうち、サイードという青年は、父親が密告者として処刑されたこともあり、なんとか名誉を回復したいと思っている。だが、自爆攻撃を完全に受け入れることができない。もうひとりのハーレドという青年は、ユダヤ人の不義に抵抗するのは英雄的な行為で、神に祝福されると考えている。その二人のうち、最後の場面では立場が反転して、ハーレドは自爆からおり、サイードが一人任務を遂行するのである。映画は、バスに乗り込んだサイードが、自爆するタイミングに向って身構える表情を映し出しながら終わるのである。

タイトルの「パラダイス・ナウ」には、パレスチナ人の置かれている状況へのアイロニーが含まれている。映画に出て来るパレスチナ人は、異口同音に、自分らがいるところは地獄だと言っているのである。







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