オマールの壁:パレスチナ人を描く

| コメント(0)
palestin01.omar3.JPG

2013年公開の映画「オマールの壁」は、パレスチナ人のユダヤ人への怒りをテーマにした作品だ。パレスチナ人ハニ・アブ・アサドが監督したパレスチナ映画ということになっている。そのような触れ込みでカンヌの国際映画祭に出品され、特別審査員賞をとった。アカデミー賞にも出品したが、受賞することはなかった。アカデミー賞を主宰するハリウッド映画界はユダヤ人が牛耳っているので、そのユダヤ人が悪者にされているこの映画が、受賞するはずもないのである。しかし、そのユダヤ人から目の敵にされているパレスチナ人が、こういう映画を作ったということに、歴史的な意義を認めるべきだろう。

タイトルにある「壁」とは、ヨルダン川西岸に設置された分離壁のことだ。その分離壁を隔ててパレスチナ人同士の交流がある。この分離壁は、占領地域の中にかなり食い込んで設置されているので、イスラエル側にもパレスチナ人のコミュニティがあるということだろう。主人公のオマールは、占領地側に住んでおり、イスラエル側に住んでいる友人と交流がある。その友人と会うためには、分離壁を乗り越えなければならない。実際かれは、その分離壁を超えて、友人たちとユダヤ人攻撃の相談をしたり、若い女性と恋をしたりするのだ。

オマールは二人の友人と共に、ユダヤ人攻撃を実施する。ライフル銃を入手したので、それを使ってユダヤ人兵士を狙撃しようというのだ。計画は成功し、一人のユダヤ人兵士を殺害することができた。しかしかれらに対して、イスラエル(ユダヤ)警察が疑惑をかける。どこからか情報がもれたらしいのだ。オマールは捉えられて拷問される。その拷問というのが、実に陰惨なもので、見ていて吐き気を催すほどなのだが、オマールは屈しない。そこで引き続き拘留されるのだが、そんなかれに一人の男が近づいてくる。この男はパレスチナ人の囚人を装って、なにかと親切そうに振る舞うのだが、実はユダヤ人が化けていたのである。かれはパレスチナ人に化けて、オマールを協力者に仕立てようとするのである。

オマールは、恋人のこともあり、心が揺らぐ。そこでとりあえず開放してもらう目的で、協力者になったふりをする。くるぶしに位置情報システムの装置を施されて出獄したオマールは、友人に連絡して相談し、その友人を売ると見せかけて、かえって待ち伏せする計画をたてる。しかしその計画はうまく運ばない。

オマールは次第に疲労して体が動かなくなり、壁を乗り越えることもできない。そんなオマールに例のユダヤ人は拳銃を渡し、これで友人を撃ち殺すように命令する。拳銃を受け取ったオマールは、それでそのユダヤ人を撃ち殺すのだ。

この映画の見どころは、ユダヤ人によるオマールへの拷問シーンと、ユダヤ人がオマールを協力者にしたてようとするところだ。そうした場面を見ると、ユダヤ人というのは、拷問の専門家であり、また陰謀の名人だと思わせられる。そうした特異な技術は、おそらくユダヤ人がナチスから体験させられたことから学んだのだろう。かれらはナチスによって教えられたことを、パレスチナ人を相手に実行しているわけである。

そんな具合に、パレスチナ人のユダヤ人に対する憎悪の気持が強く伝わって来る作品である。これまでは、パレスチナ人の立場に立って、かれらが受けている不正を問題に取り上げるような動きが全くと言ってよいほどなかったので、パレスチナ人自身が、自ら世界に訴えたことには、やはりそれなりの意義を感じざるを得ないところではないか。






コメントする

アーカイブ