検察が前法相を逮捕

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法務大臣といえば、検察を中心とする法務官僚組織の頂点に位置する。人事にも強い影響力を行使できる。検察にとっては、ボス的な存在といってよい。だから、これまで検察が法務大臣に盾をついたということは聞かない。検察は法務大臣を自分たちの代表者、最高上司として遇してきた。それがこのたび、検察が法務大臣の経験者、それも直近に法務大臣をつとめた人物を逮捕するという事態が起きた。前代未聞の珍事だということである。

逮捕された前法務大臣は、妻が立候補した昨年の参院選で、派手な買収劇を演じた。夫婦そろっての逮捕である。この逮捕劇の背景には、安倍政権と検察の確執があったのではないかとささやかれていた。安倍政権が検察の人事に介入できる道を露骨にさぐる一方、当面の検察総長人事を意のままにしようとしていたことは、すでに国民の目にも明らかになっている。そうした動きに対して、検察が危機感を抱き、反撃に出たのではないかと憶測されたものである。

小生などは、当面の対立を検察が制したことで、とりあえず反撃ののろしをおさめるのではないかと、あまり根拠のない憶測をしていたのだったが、実際には前法務大臣をその妻もろとも逮捕したわけだ。そこに小生は、安倍政権に対する検察の強い嫌悪感のようなものを感じる。逮捕された前法務大臣は、安倍総理の最側近で、いわば安倍の分身のような人物とされる。そういう人物だからこそ、検察としては簡単に赦免する気にならなかったのかもしれない。

この人物への安倍総理の思い入れは、妻もろともに面倒を見てやろうという姿勢にも感じられる。なにしろ前例のない巨額な政治資金を与えてまで、また実績のある自民党現職を蹴落としてまで、この人物に肩入れしていたほどである。安倍総理が検察人事を意のままにしようと企んだのは、自分自身の疑惑をもみ消してほしいという思惑もあったようだが、前法相の擁護という思いも働いていたらしい。

逮捕された前法相は、当然のことのように無罪を主張している。自分はなんらやましいことはしていないというわけである。この男にとっては、自分の利益のために必要なことをするのは、何らやましいことではないということらしい。





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お早うございます。
今回も政治関連のコメント投稿になります。このブログはそもそもそ政治問題以外の散人さんの多様な且つそれぞれがとても深い趣味に関連してのブログが主です。私も趣味の面ではかなり関心を同じくするものですので、政治の話題ではあまりコメントしないようにしていましたが、この件は驚くほど散人さんの見方が私の考えとは違っていたので、ついコメントしたくなりました。私は基本的に政治家と官僚は国家に対する役割が違うと思っています。そして官僚のトップである大臣にキャリア・当選回数を重ねた政治家が時の総理から任命されるのは、政治の派閥・グループなどの力学から決まるのはやむを得ないと思っています。官僚は集団の活動原理があり、民間企業のように社長または担当役員個人に責任は及びにくい仕組みと思っています。そのため政治家が大臣としてトップにいるので、不祥事の責任を取ることはだれが見ても分かりやすいです。部下ももちろん、出世競争レースにいた複数の官僚たちも人事異動となり。レース争いからは外れます。不祥事責任は大臣自体の過去の政治行為だけでなく、部下の官僚が実施した不祥事、不明瞭事態にも及びます。官僚の行動は集団的で何層にも及ぶ決済がありなされるため、個人に責任は集中しにくい・特定しにくいことになると考えています。またそれが必要な仕組みと考えています。結果的にトップが知らない、全く感知していないでは済まないため大臣の首が飛ぶ形になります。この構図は大臣の部下である官僚たちから見ると何を意味するかというと、自分たちにとって都合がよい、活動がやりやすい、特に前例のない新政策を進めたい場合には、大臣を味方にできれば最高のトップになります。逆もあります、不都合、不祥事なことには責任を取ってもらい別の大臣に変わります、時には恣意的に変えるような動きすらできます。

このような背景があるので、大臣には官僚集団がアンテナを張っており常に長期間味方にして行ける人材か否か見張られているのではと考えています。今回の事件は、新大臣の資質がもともとだめだという官僚集団の考えがあったと思います。それもどうもあまり評判の良くない安倍政権の強引な任命でしたので、国会解散の翌日に躊躇なく逮捕になったと思います。検察官僚トップの定年延長騒ぎもあまりに騒ぎが大きくなった為、やはり時の政治権力に恣意的に介入されたくない意識が働き、官僚OBまでが反対したのも分かります。なお、私自身は官僚はコツコツと連続性を持って行政を進めてゆく。政治家と大臣には清濁併せのみ政治を実行する資質が必要で、初めて国家を収めてゆけるものと思います。濁り面が何かの折に噴出してくると野党はここぞとばかり世論を巻き込み政局にしようとします。民主主義のやむを得ない面かと思います。官僚に清濁併せ呑む行動要求事態は論外で、あくまでも集団によるよりよい社会正義の追及行政が行動原理です。一方現在の民主主義の頻繁な支持率データに右往左往する風潮も、大衆迎合政治になりやすいという怖い落とし穴があることを選挙民個人は考えなくてはいけないと感じています。

河合夫妻の公職選挙法違反で逮捕された事件をどのように捉えたらいいのだろうか。マスコミ報道のストーリーなのかどうか。報道された記事の内容は、マスコミが取材したものだろうか?、恐らくは検察のリークによるものではないだろうか。昨年の選挙の際、広島県議ら96人に票の取りまとめで総計2570万、1人あたり最大で、100万円渡したという。受け取った96人も起訴されるのだろうか。検察はどうも起訴しない構えだ。受け取れば、罪になることはわかっている。罪にならないという自覚があるとすれば、別の名目のお金ということになるが・・・・河合容疑者は罪を否認している。

前黒川検事長の麻雀事件も、週刊文春にリークしたのは、検察しか考えられない。コロナ下で、麻雀をやることなど想像できない事件をスクープできることは難しい。リークしかないだろう、検事長の行動は、検察庁でしか知り得ないことである。この事件で、法務省では、多分懲戒免職を想定していたところ、検察庁から訓戒でということを言ってきたのではないだろうか。政府はこれを受け入れたにすぎないのではないだろうか。この件で検事総長はコメントを一切出さなかったように思いました。国会が終わってからの河合議員夫妻逮捕は、内閣への忖度なのだろうか。
 はっきりしたことは、マスコミと検察の関係は極めて不透明であること、マスコミは独自で取材する能力を持っていないこと、検察は本当に信頼できる組織なのかどうか。
河合議員は、問題がある人物かもしれないが、ことの発端は対立する陣営からのたれこみのように思う。以前の話ですが、IRの秋元議員の立件が見送られ、いまやどうどうと議員活動をしているという。本当に検察は正義を行う組織なのかどうか、私達はしっかり見ていく必要がある。ちなみに、河合議員、秋元議員も二階派の議員らしい。

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