マルクス「哲学の貧困」

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「哲学の貧困」は、無政府主義者プルードンの著作「貧困の哲学」への批判として書かれたものである。この中でマルクスは、プルードンの経済思想とそれをもとにした社会改革の思想を痛烈に批判している。その批判を通じてマルクス自身の経済思想と社会改革思想が本格的に展開されている。とくに経済思想については、資本主義についてのかなり突っ込んだ分析が見られる。

マルクスは資本主義経済を、歴史のある段階で現われた一時的な現象であって、やがては乗り越えられるべきものであると考えていた。その理由は資本主義自体に内在する矛盾にあり、また乗り越える運動にはそれを遂行する主体があって、プロレタリアートがそれだと考えた。マルクスはこうした視点から、プルードンを徹底的に批判したのである。徹底的にというのは、マルクスほど仮借ない批判者はいないという意味だ。

プルードンの基本的な誤りは、資本主義経済を永遠に不変な制度と考えたことだ、とマルクスは考える。資本主義を除外しては、人間の社会のあり方をイメージできない。それはプルードンがプチブルであるためだ、とマルクスは言う。プチブルはブルジョワジーのなかでも中途半端な存在だが、しかし基本的にはブルジョワジー的な心性を持っている。だから、資本主義を除外した社会のイメージを抱けない、と言うのである。

その結果、かれらが抱く社会変革のイメージは、革命ではなくあくまでも改革である。あるいは改良である。プルードンも、資本主義社会の矛盾には気づいている。その矛盾はマルクスによれば最終的には革命によって廃棄されるべき性質のものだが、プルードンにとってはそんな考えは思い及ばない。何故なら資本主義を除いては、社会のあり方はイメージできないからだ。それゆえ資本主義の廃棄はプルードンにとって人間社会そのものを廃棄するに等しい。人間は資本主義の枠組みの中でしか生きてはいけないのである。

プルードンは資本主義の矛盾を、善い面と悪い面との相剋というふうに捉えている。資本主義を動かしているのは、プルードンによれば分業と競争であるが、そのどちらも善い面と悪い面とを併せ持っている。そこで肝心なのは、善い面を伸ばして悪い面を抑えるということになる。そうすれば資本主義の矛盾は緩和され、我々はよりよく生きることができるようになる、というのがプルードンの社会変革あるいは社会改良のイメージである。それをマルクスは笑い飛ばすわけだ。

プルードンがとりわけ強調するのは競争のもたらす弊害である。競争自体は資本主義の本質的特徴として、永久的な必然性を持っているのであるが、ただそれの持つ弊害は見逃せないとプルードンは言うのである。プルードンの思想を突き動かしている原理は、人間の平等である。ところが競争はこの平等を損なう傾向を持っている。競争は独占を生み出す傾向を持つが、独占は平等にとって害悪でしかない。それゆえ大事なことは、独占とは正反対の、平等な競争を保障することである。どのようにして。それにプルードンは答えることができない。何故なら、独占を完全に排除できる競争など考えられないからだ。

ただプルードンは、独占排除の一つの可能性につながるものとして、労働者の同盟罷業を禁止することを提言している。プルードンによれば、労働組合も又独占の一形態なのであり、それが実力行使して同盟罷業を行うことは、自由な競争にとっての脅威になると言うのである。同盟罷業が有害である理由として、プルードンは、それが賃金騰貴をもたらすことを通じて、一般的物価騰貴につながるということをあげている。しかしそれは完全に間違った推論だとマルクスは言う。賃金の騰貴は、まずは利潤率の低下をもたらすだけで、物価の騰貴にはつながらない、とマルクスは批判するのである。マルクスによれば、労働の生み出した価値が賃金と利潤と地代に振り分けられるのであって、賃金が上がることは利潤乃至地代が下がることにつながるとはいえ、労働の生み出した価値の総額が増えることにはならないのである。

ともあれプルードンは、労働組合の同盟罷業を経済的に受け入れられないとするばかりか、違法だとまでいって、それの禁止を強く主張するのである。それに対してマルクスは、労働者の同盟罷業は、階級としての労働者の階級としての資本家に対する戦い、すなわち階級対階級の闘いだとする。この戦いを通じて労働者は自分自身の利益を勝ち取らねばならない。でなければ労働者は、いつまでも資本のくびきの下で奴隷的な境遇に甘んじるしかない。だがこの戦いは、単に労働者階級の勝利にとどまってはならない。つまり労働者階級が資本家階級にとって代わるだけであってはならないのだ。どういうことか。階級が存在するということは、社会が分断されていることを意味し、分断があるかぎり、その社会は変動にむけて運動を続けることになる。真に安定した社会をもたらすためには、階級自体を廃絶しなければならない。階級の廃絶こそ、階級としての労働者が最終的に目ざさねばならない目標なのである。

こういう具合にして、「哲学の貧困」は、資本主義社会の分析を踏まえて、階級なき社会の展望を示している。この著作が「共産党宣言」を用意したといわれる所以である。ちなみにこの本が書かれたのは1847年、共産党宣言が書かれたのはその翌年のことである。






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