ルイ・ボナパルトのブリュメール18日:マルクスの階級闘争史観

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マルクスの「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」を半世紀ぶりに読み返した。以前には岩波文庫版で読んだのだったが、今回は平凡社版で読んだ。翻訳者(植村邦彦)によると、岩波文庫版は第二版を底本にしておるそうだが、初版に比べると削除・簡略化が多いとのこと。その結果、初版に見られた「同時代の臨場感あふれる饒舌さ」が失われた。そこがもったいないと思うので、あえて初版による翻訳を試みたということである。

初版と第二版の相違を訳者は、冒頭の有名な文章を例にして指摘している。初版では「一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として」となっているところが、「一度は悲劇として、もう一度は笑劇として」に訂正された。これは簡略化された例であるが、全体にこうした簡略化が施されているようである。それを訳者は削りすぎだと思ったらしいが、小生などは、この初版を読んだ印象としては、やや饒舌がすぎるのではないかと思った次第。マルクスの文章には、たしかに饒舌なところがある。

マルクスの文章は、だいたいが饒舌なのだが、この本ではそれがことのほか目立つようだ。それは同時代で起きた革命的な出来事を、目の前で見た興奮がもたらしたのだろう。しかもその革命が流産させられて、累々たる死骸の山の中から、とんでもない奇形児があらわれた。それを目撃したマルクスの興奮が、かれを饒舌にしたことは理解できる。

マルクスはその出来事を、階級闘争史観によって追跡している。階級闘争史観による同時代の分析は、前作の「フランスにおける階級闘争」において既に試みられていたが、ここではそれが更に深く掘り下げられている。プロレタリアの蜂起によって始まった1848年の二月革命が、ブルジョワによって流産させられ、そのブルジョワの支配がルイ・ボナパルトによって横取りされる。その一連の歴史的な動きをマルクスは、階級闘争の視点から分析して見せたのである。

題名にあるブリュメール18日とは、ナポレオン・ボナパルトがクーデターを起こしてフランス革命を終わらせた日である。そのナポレオン・ボナパルトの甥であるルイ・ボナパルトは、1851年12月2日にクーデターを起こし、二月革命を最終的に葬り去って、叔父同様皇帝の座につくことになった。それをマルクスはルイ・ボナパルトにとってのブリュメール18日というわけである。

ルイ・ボナパルトが皇帝になれた理由はなにか? それをマルクスはこの本で明らかにしていく。簡単にいえば、階級間の対立をうまく利用したということになる。当時のフランスには、プロレタリア、小市民、ブルジョワの三つの階級があった。そのうちプロレタリアが二月革命を起こし、それを小市民が引き継ぎ、更にブルジョワが横取りしたが、ブルジョワは内部で分裂を抱え、階級が一体として権力を担う体制が作れなかった。そこをうまくついた形でルイ・ボナパルトは権力を奪取した。しかしボナパルトと雖も、空中に楼閣を建てるわけにはいかない。自分自身の支持基盤が必要だ。その基盤とは分割地農民の階級だったというのが、マルクスの見立てである。ボナパルトは分割地農民を階級的な基盤とし、ルンペン・プロレタリアを親衛隊に使って、ブルジョワ支配を覆したというわけである。

分割地農民というのは、フランス革命によって生まれたフランスの小規模自作農のことである。この新しい階級が、農業国であるフランスの国民の大多数を占めていた。普通選挙が導入されれば、数にまさるこの階級の意思が、政治を動かすのは道理である。それをボナパルトは獲得した。かれを皇帝にまつり上げたのは分割地農民の意志だったというのがマルクスの基本的な見立てである。

分割地農民は新しく生まれた階級ではあるが、フランス革命から二世代が経過するなかで、大部分が斜陽の傾向に置かれていた。かれらにとって、未来は非常に暗かったのである。それについての不安が、かれらを保守的にした。かれらの最大の関心は、分割地農民としての生活基盤を守るということだった。その願いがかれらを、当面の敵である資本家階級に敵対させ、古き良き時代へのノスタルジーを掻き立てさせた。そのノスタルジーにボナパルトは応えた。ボナパルトはナポレオンの甥として、古き良き時代の精神を体現していると、分割地農民の目には映ったのである。

プロレタリアとの関係についていえば、ボナパルトはルンペン・プロレタリアの首領だった。かれはルンペン・プロレタリアを動員して、クーデター騒ぎを起こし、実力を以て政権を奪取していった。1851年のクーデターはそれの仕上げであった。クーデターといっても、非合法のものではない。普通選挙による合法的な権力奪取である。

ブルジョワにとってボナパルトは、自分たちの階級から権力を奪取した敵ではあるが、しかしブルジョワにはボナパルト以外の選択は残されていなかったのである。ブルジョワが権力を維持できなかった理由は、商業資本と工業資本とに分裂していて、階級として一体化できなかったことにある。かれらは自分自身で権力を掌握することができないのだ。だから自分以外のもの、つまりボナパルトに依存せざるをえなかった。かれらにとっては、安定か混乱かの選択に直面して、安定の権化たるボナパルトは、いかなる形の混乱よりはましだったのである。

以上のような各階級のバランスをうまく利用したことが、ボナパルトを皇帝にさせた原因であった、とマルクスは見るわけである。






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