日本への原爆投下は不必要だった:英米の研究者が指摘

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広島・長崎への原爆投下は、戦争を終結させるうえで必要なことだった。もし原爆を投下しないという選択をしていたら、戦争は長引き、地上戦による多くの米兵の犠牲と膨大な数の日本人の死が避けられなかっただろう。そういう意味で、原爆投下は意義あることだった、というのが、いまのアメリカ人の最大公約数的な見解になっている。原爆投下の決断をしたトルーマンは、正しい判断をしたというわけである。

こうした見方に異議を唱える見解が、二人の英米人研究家によって示された。その二人とは、英国人バー・アルペロヴィッチとアメリカ人マーティン・シャーウィン。かれらは共同執筆「U.S. leaders knew we didn't have to drop atomic bombs on Japan to win the war. We did it anyway」を米紙ロサンゼルス・タイムズに寄稿し、その中で、広島・長崎への原爆投下は、戦争を終わらせる手段として必要なかったのであり、そのことはトルーマンもよくわかっていたということを、様々な記録文書の分析を通じて明らかにしたのである。

日本の指導者は、自国の敗戦を予想して、いかに有利な条件で降伏するか、それを追求していた。かれらにとって最大の脅威だったのはソ連の参戦であった。ソ連が参戦すれば、天皇への訴追は避けられないし、最悪の場合には、北海道を失う恐れがあった。それは文字通り国の崩壊を意味した。それに比べれば、広島・長崎への原爆投下は、日本の指導者にとって大したインパクトはもたなかった。だから、広島・長崎への原爆投下が日本の敗戦の決定打になったというわけではない。要するにトルーマンは、不必要な原爆投下をしたのだと言うのである。

こうした指摘には、我々日本人としては、俄に納得できないものがある。天皇を含めた日本の指導者が、ソ連を恐怖していたことはたしかだが、原爆の投下にも深刻な打撃を受けた。日本が降伏決定をするのは8月9日だが、それは長崎に原爆が落とされた日である。やはり広島・長崎への原爆投下が、天皇を含めた日本の指導者の判断に大きな影響を与えたとみるのは合理的なのである。

それにしても、もしトルーマンが、広島・長崎への原爆投下が、戦争を終わらせる手段として必要ではなかったと考えていたならば、かれは何故、そんな不要のことを行ったのだろうか。もし不要なことをしたというなら、広島・長崎の市民たちは、無駄な死を強いられたということになる。

研究者たちは、トルーマン以外の指導者たちのなかで、広島・長崎への原爆投下に反対したものもいると言っている。たとえばマッカーサー。マッカーサーは、トルーマンにフーヴァーほどの知恵と政治家らしさがそなわっていたら、もっと有利な降服条件を日本のために考えてやって、無駄な殺戮を避けただろうと言っている。またアイゼンハワーらは、原爆投下は軍事的に不必要なだけでなく、倫理的に受け入れがたいと言って、トルーマンを批判している。当のトルーマンには、そうした批判が応えたという形跡はないようだ。







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