日本天台と鎌倉仏教

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天台宗が中国化された仏教だとは前稿で述べたとおりだ。法華経を根本経典とするこの教派は、法華経自体が詩的なイメージで満ちているのに対して、極めて思弁的な傾向が強い。田村芳郎はその天台思想の特徴を、一念三千と円融相即の概念で説明した。これらは、人間の中の仏性を強調するもので、仏と人間とを連続の相のもとに考察した。その結果、仏と人間との対立にもとづく二元論ではなく、仏性を究極的な原理とする一元論に傾いた。この世界はすべて仏性の現われだとするわけで、そこには極めて楽天的な傾向を見て取れる。

天台のそうした傾向は、日本では更に強まった、というのが田村らの見方である。その日本天台の思想の根本的な特徴を、かれらは天台本覚思想に求める。本覚という言葉は、人間とは本来的に覚りを得ているとするものである。つまり人間は生まれながらに仏であると主張するわけである。人間のみではない、すべての生き物や草木にいたるまで、この世に存在しているものは、そのまま仏であると言える。そのことを天台は「草木国土悉皆成仏」という言葉であらわした。これについてはさすがに、生き物の成仏はありえても、無生物の成仏はありえないという批判もあったが、それにしてもすべての生き物が成仏しているというのは、あまりにも日本的な発想と言えるだろう。

天台宗は、中国本土では衰えたが、日本では長らく仏教の中心として栄えた。比叡山は宗教の中心であるとともに、日本最大の総合大学の観を呈し、日本文化をリードする存在だった。鎌倉仏教の祖となった人々は、みな比叡山に学び、天台宗の思想と格闘しながら、自らの独自の宗教を確立していったのである。

鎌倉仏教といえば、法然と親鸞による浄土系の宗教、栄西と道元による禅宗、及び日蓮宗があげられる。浄土思想と禅の要素はもともと天台に含まれていたものだが、天台が本覚思想を強調したことで、いわば背後に隠されていた。法然以下鎌倉仏教の祖たちは、それを前面に押し出す一方、独自に深化させたといえる。また日蓮は、天台の根本経典たる法華経そのものへの信仰を説いたわけで、その意味で天台を否定したわけではないが、法華経の読み方が、天台とは異なったのである。日蓮によれば、天台は法華経を誤って読んでいるということになる。

天台本覚思想のもとになったのは不二一体の思想である。もろもろの存在は、個々別々にではなく、相関係しあって存在するとするもので、宇宙を統一した原理で説明しようとする。この思想によれば、宇宙とは絶対的な原理にもとづいて統一的に説明される。その統一的な原理とは仏性である。すべてのものはこの仏性が顕現したもので、したがって仏と衆生との間に断絶はないと見る立場に立つ。これが徹底されると本覚思想になるわけだ。つまり衆生である我々人間は、本来的に、生まれながらにして成仏しているというわけである。

鎌倉仏教の祖たちは、天台のこうした楽天主義との対決から自らの思想を鍛えていった。まず、法然から見てみよう。法然は十五歳で叡山に入り、天台思想を学んだが、それにあきたらず、十八歳の時に黒谷の叡空に師事して浄土思想を学んだ。更に修業を重ね、一行念仏の思想に到達した。それは一心に念仏することで、浄土に生まれ変わることを祈るもので、現世と浄土とを対立するものと考えるところに天台との根本的な相違があった。天台は、人間は生まれながらに成仏していると主張することで、この現世がそのまま浄土だとするのであるが、法然はそれを否定して、浄土は現世とは異なったものだとしたわけである。これを田村は、天台の絶対的一元論から相対的二元論への転換と言っている。

法然がそのように考えたわけは、時代の様相に理由があったと田村は言う。法然が生きた時代は、戦乱の時代であって、現世はそのまま浄土であるとはとても言えなかった。人間は、この現世においては、煩悩と苦痛にさいなまれるだけだ。とても成仏できているなどとは言えない。成仏は浄土においてはじめてできるもので、その浄土は現世とは異なったところにある。そこに行き着くためには、我々衆生は一念に仏の名号を唱えねばならない。そう法然は主張したのである。

親鸞は九歳で叡山に入り、二十九歳までそこで修業したが、天台の教義に疑問を感じ、法然の弟子となって浄土思想を学んだ。念佛によって成仏を目指すという点では、法然と同じである。しかし、法然が念仏の結果成仏できるのは死後のことだと考えたのに対して、親鸞は、念仏即成仏だと考えた。現世で念仏するその時にこそ、生きたそのままに成仏できるのだとしたわけである。これは、法然の相対的二元論に対して、絶対的一元論に戻ったものだと田村は言う。もっとも、絶対的一元論といっても、天台のように、特に何もしないでも成仏できるとするのではなく、念仏を通じて成仏できるとしたのである。

道元は、只管打坐による成仏を目指す立場をとった。その思想の背景には、人間は生きながら成仏できるとする考えがあるわけで、その意味では天台の絶対的一元論と通じるところがある。しかし天台のように、努力なしに成仏できるとは考えなかった。成仏は只管打坐の果てになされることなのである。その成仏の結果人間にはじめて仏性が備わるのであって、天台が言うように、人間に生れながら仏性が備わっているわけではない。そう強調する所は、親鸞とも異なっている。親鸞は念仏即成仏といったわけで、その背景には、人間にもともと備わっている仏性が念仏によって活性化されるとする考えがあるのだと思われる。道元はそれに対して、仏性は成仏によってはじめて得られるとしたわけである。

日蓮は、仏教を個人の救済のためばかりでなく、社会変革の原動力としてとらえた。これは個人の成仏をもっぱら問題とした他の鎌倉仏教とは大いに異なるところである。日蓮はその変革の原理を法華経に求めた。法華経の理念に従えば理想的な社会が実現できると考えたのである。個人の成仏ということに関しては、日蓮は比較的楽天的であり、また、天台に対する批判意識も、ほかの祖たちに比べて穏やかである。日蓮は天台の本覚思想を、基本的には否定していなかったようなのだ。

以上、鎌倉仏教と天台との関係に焦点を当てて論じてみた。これから浮かび上がってくるのは、天台が日本仏教に果たした大きな意義である。天台なしでは鎌倉仏教は生まれず、したがって日本人の宗教意識はかなり異なった様相をとったであろうと指摘できよう。






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