八ツ見のはし、鎧の渡し小網町:広重の名所江戸百景

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(45景 八ツ見のはし)

八ツ見橋という名の橋はいまは存在しないが、外堀から日本橋川が別れるところにかかっていたというから、いまの呉服橋のあるあたりにかかっていたと思われる。呉服橋という名の橋もあって、それは日本橋川ではなく、外堀に門と一体となってかかっていた。

この絵は、八ツ見橋の上から江戸城内を眺めた構図。先に見えるのは銭瓶橋と思われる。手前の横の流は外堀だろう。この橋が八ツ橋と呼ばれたのは、この橋に立つと周囲に八つの橋が見えたからだという。また、一石橋の異名もあった。近くに金座の後藤と幕府御用達の呉服屋後藤が住んでいたので、「ごと」と「ごと」をあわせて一石だという洒落である。

手前に柳が大きく画面を覆うように描かれ、遠景には富士山が描かれているが、富士山の方向は、八ツ見橋の南西にあたる。江戸城は真西なので、その先に富士が見えることはない。

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(46景 鎧の渡し小網町)

小網町は、江戸橋より下流の南岸一帯で、徳川時代には船積問屋が集中していた。江戸の物流の一大拠点だったわけである。この絵には、日本橋川の堤に沿って並ぶ問屋の倉庫群が描かれている。

ここの渡しを鎧の渡しと呼ぶのは、故事にもとづいている。八幡太郎義家が奥州征伐に行く折、安全を祈って鎧一領を水中に投げた。そのことからこのあたりを鎧の渡しと呼ぶようになったという。ちなみに近所にある兜町の名も、八幡太郎の兜にもとづくそうである。

手前に粋ななりの女が日傘をしさした姿で描かれ、水上には荷を積んだ船が行きかっている。この船は江戸湾で大船から荷物を積み込み、日本橋方面へと運んでくるのである。






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