法華経を読む

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法華経の構成や成立年代については、先稿「法華経の構成」で言及した。その稿は仏教学者田村芳朗の説に依拠したものだが、その内容を簡単に再説しておこう。田村によれば、法華経を構成する二十八品は、三つの部分に分類できる。第一の部分は、第二品「方便品」から第九品「授学無学人記品」まで、第二の部分は、第十品「法師品」から第二十二品「嘱累品」まで、第三の部分は、第二十三品「薬王菩薩本地品」から第二十八品「普賢菩薩勧発品」まで。この三つの部分のうち最も早く成立したのは第一の部分で、紀元50年前後のことだったとする。第二の部分はそれに遅れて成立したが、第十二品の「提婆達多品」は天台智顗によって後世に追加されたものである。第三の部分は、紀元150年ごろまでに、順次個別に成立・追加されたのであろうと考えられている。なお、全体の序文にあたる「序品」は、第二の部分が成立した際に、第一・第二の部分に共通する序説として置かれたのであろう。

各部分の内容の特徴については、田村と共同執筆した哲学者の梅原猛が独自の説明を加えている。梅原は田村による上述の分類を踏まえながら、第一の部分は、一乗思想を展開したもの、第二の部分は大乗本来の菩薩思想を展開したもの、第三の部分は、以上二つの部分を統合して、大乗思想をさらにわかりやすく展開したものだという。一乗思想というのは、声聞や独覚など小乗仏教の修行者にも悟りへの道はあるとするもので、救済の対象をいわば水平的に拡大したものだ。それに対して大乗の菩薩思想とは、菩薩の修行にことよせて仏の永遠性を説くものであり、いわば救済の範囲を垂直的に拡大したものだと梅原は言っている。

「序品」は、本来は第一の部分と第二の部分に共通する序説の意義を持ったものだったが、今日においては、法華経全体の序文と考えてよい。法華経は、如来の説いたところをさまざまな角度から説いたという体裁をとっているが、その説法の舞台設定とか、説法の意義について述べたものである。

まず舞台設定。仏は王舎城の耆闍崛山にいる。王舎城とはマガダ国の都ラージャグリハ、耆闍崛山は王舎城の郊外にある山、霊鷲山とも言われる。そこに一万二千の阿羅漢、八万の菩薩、摩訶薩、さまざまな守護神や眷属など夥しい人びとが集まり、仏を取囲んでいる。その中には、この経のなかでもっとも重要な働きをする弥勒菩薩と文殊菩薩がおり、この序品では核心的な役割を演じる。そのほかさらに薬王菩薩、観音菩薩、普賢菩薩といった菩薩もいて、それぞれ自分の名を冠した章(品)で主体的な役割を演じることになるであろう。

仏は、人びとに囲繞せられて礼拝を受けると、まず諸々の菩薩のために大乗経の無量義経を説いた。無量義経とは、永遠の真理を解いた経というほどの意味であるが、実際には、法華経のための開経と位置付けられるものをいう。総論といったところか。まず総論を解いて各論に入っていくわけである。その総論が何をさすのかは、明らかではない。「無量義経」という名称の経は実在するが、それは法華経の解説を目的として後世に作られた偽経ということだ。

ともあれ仏は無量義経を説き終わると、結跏趺坐して無量義三昧の境地に入り、精神を集中した。そして眉間の白毫から光を放った。その光は、下は阿鼻地獄から上は阿迦尼吒天にいたる全世界を照らした。その様を見た弥勒菩薩は、これは何のしるしかと怪しんだ。そして過去の無数の諸仏に親近してきた文殊菩薩なら、それを知っているだろうと思って、文殊菩薩に訪ねた。居合せた人々も同じ思いだった。「何の因縁をもって、このめでたき瑞相ありて、大光明を放ち、東方万八千の土を照らし、悉く彼の仏の国界の荘厳を見るや」と。

弥勒菩薩は、偈をもって問うた。偈とは韻文である。仏典は普通、散文と韻文とを交互に配するという構成をとる。法華経も例外ではなく、散文の本文と韻文の偈を交互に配している。序品の場合には、それが二度繰り返されるのである。

弥勒菩薩は、偈をもって次のように問うた。「仏子文殊よ、願わくば衆の疑を決したまえ、四衆は欣仰して、仁及びわれを見る、世尊は何が故に、この光明を放ちたもうやと。仏子よ、時に答えて、疑を決して喜ばしたまえ」と。

これに対する文殊菩薩の答えとそれにかかわるやりとりを、まず散文で説き、ついで文殊菩薩による偈というかたちで、韻文で説くのである。文殊菩薩は、自分が過去に体験したことを語る。今回の事態はその体験を思い出させるというのだ。その体験とは、仏が衆生に向って真理を説いた後に、白毫から光を放ったということだったが、今回もそれと同じことが起きているというのである。

ここで仏が語ったという真理とは、声聞を求めるものにとっては四諦、独覚を求めるものにとっては十二因縁、菩薩にとっては六波羅蜜とされる。四諦とは、苦集滅道のことわりをいう。世の中には苦悩があり、その苦悩の原因があり、その原因を取り除く法があり、それによって悟りを達することができるとする。また十二因縁とは、煩悩の原因となる十二種類の心の働きをいう。六波羅蜜とは、六種類の知恵をいい、これに通じることが悟りへの道につながると説く。

さて文殊菩薩が言うには、自分は二万の仏と出会ったが、そのいずれも日月燈明菩薩と言った。これはおそらく仏の光明としての働きに着目した普通名詞なのだと思う。仏とは日月の燈明のような働きをするという意味が込められているのであろう。その仏を取囲むものの中に妙光菩薩がいた。仏はその菩薩に法華経の受持をゆだねた。また、妙光菩薩の弟子の中に求名菩薩というものがあった。妙光菩薩は文殊菩薩本人であり、弥勒菩薩は求名菩薩だと言うのである。そう言うことで、文殊菩薩と弥勒菩薩とは師弟の関係にあると言っているわけである。

以上を踏まえて文殊菩薩は、法華経こそは、仏が衆生救済のために用意した尊い教えであると説くのである。文殊菩薩は、偈の最期で次のように説く。
  われ燈明仏を見たてまつりしに、本の光端はかくの如し
  ここをもって知りぬ、今の仏も、法華経を説かんと欲するならん 
  今の相は本の瑞の如し、これ諸仏の方便なり
  今の仏が光明を放ちたまうも、実相の義を助発せんがためなり
  諸の人よ、今当に知るべし、合掌して一心に待ちたてまつれ
  仏は当に法雨を雨して、道を求める者を充足したもうべし

以下、法華経は各章に移っていく。この小文も、法華経の構成に従って、法華経を読み解いていきたいと思う。使用するテクストは岩波文庫版「法華経」三巻である。これは鳩摩羅什の漢訳とそれの日本語読み下し文、及びサンスクリット語原典からの邦訳を収めてある。経文からの引用は読み下し文を採用した。






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