利根川ばらばらまつ、はねたのわたし弁天の松:広重の名所江戸百景

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(71景 利根川ばらばらまつ)

利根川ばらばらまつとあるところから、利根川のどこかを描いたものだろうが、場所が特定されていない。投網の様子が描かれているが、徳川時代には、この漁法は河口から五十丁(約五キロ)まで許可されていた。それを前提にすれば、利根川の河口、つまり銚子から遠くないところということになるが、それだと江戸からは完全に別の世界だ。このシリーズには相応しくない。

この利根川を、川の付け替え以前の古名である古利根川とすれば、いまの旧中川になる。徳川時代には単に中川といっていた。それだと腑に落ちる部分がある。というのも、太田南畝が中川のばらばら松なるものを、狂歌に詠んでいるからである。曰く、「空と海ひったりつきの中川のばらばら松にたつ千鳥かな」

この絵では、千鳥ではなく、白鷺のような鳥が二羽飛んでいる。その下にある中州のようなところにばらばらと松の木が連なっている。

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(72景 はねたのわたし弁天の松)

羽田の渡しは、玉川の河口近く、羽田村と川崎大師を結んでいたもので、大師河原の渡しともいった。東海道を行きかう人々が利用したものだ。その渡しの下流の羽田村側に、弁天をまつる社があった。

この弁天の神体は、武州日原山から流れて来たという宝珠。これを土地の漁師が投網ですくいあげて、社に祀ったという。

この絵は、玉川の河口近くの様子を描いたもの。手前で艪を漕いでいるのが、渡し船の船頭。左手奥に見えるのが羽田村。遠方には、江戸に物資を運ぶ帆掛け船が見える。






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