中国の処刑文化:莫言「白檀の刑」

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莫言の小説「白檀の刑」は、タイトルにあるとおり、処刑がテーマである。この小説は、義人孫丙が白檀の刑という、中国の処刑の中でもっとも残忍といわれる方法で殺される場面がクライマックスとなっているのだが、そのほかにも処刑のシーンは出て来る。いずれも残忍なものである。それらについての描写を読むと、中国人というのは、処刑についてきわめて洗練された文化を持っていると思わされる。

だいたいこの小説は、宮廷処刑人趙甲及びその息子と、かれらによって処刑される義人孫丙を中心にして展開するのである。それに孫丙の娘であり、趙甲の息子の嫁眉娘がからむ。眉娘にとっては、実の父親を義理の父親が殺すということになる。眉娘にはもう一人、義理の父親がある。高密県の知事銭丁である。銭丁は、眉娘にとっては後見人のような立場であるが、その立場を利用して彼女を性的に支配するのだ。この三人の父親、「じつの父親に亭主の父親に義理の父親~三人の父親がお裁きの場で顔を合わせるなんて」といって、眉娘は嘆くのである。

宮廷処刑人趙甲は、若年の頃から数十年にわたり宮廷の刑部に仕えて数千人もの犯罪者の処刑に従事してきた。かれは中国の処刑文化の華として、あらゆる種類の処刑方法に通じている。なかでも白檀の刑はもっとも残忍で、しかももっとも美的センスを感じさせる処刑方法ということになっている。それを孫丙に適用するのは、孫丙が中国一の犯罪者だからだ。なにしろ孫丙は、中国つまり清朝の権威にたてついたのみならず、ドイツ人に多大な無礼を働いた。その罪はだから万死に値するのだ。しかし一人の人間が万も死ぬわけにはいかないので、処刑の中でももっとも苦痛を感じさせる方法で処刑されることになった。それは一瞬にして死ぬのではなく、五日間かけて緩慢な死をもたらす。その五日の間孫丙はすさまじい苦痛にさいなまれつづけるのである。

その処刑方法というのは、白檀の木を針のように細くけずり、それに十分油をしませたうえで、肛門から突っ込み、脊椎沿いに串刺しにして、肩から突き抜けさせるというものだ。孫丙はその状態で、十字架に張り付けられる。すぐには死なない。というのも、白檀の木は、孫丙の内臓を傷つけることなく、脊椎と皮の間を貫いているということになっている。しかし、物理的にそんなことが可能なのか、かなり疑わしいので、それは莫言一流のでっちあげとも考えられる。

ともあれ、趙甲に言わせれば、白檀の刑は、もっとも残忍であるとともに、もっとも優雅な刑だというのだ。あるいは名誉ある刑といってもよい。切腹が日本の武士にとって名誉ある刑であるのと同じように、白檀で串刺しにされるのは、中国人にとってはもっとも名誉ある死に方らしい。少なくとも莫言の文章からはそう伝わって来る。中国人にとっては、朝廷の権威に逆らうのはもっとも罪深いことであるが、また最も恐れ多いことでもある。その恐れ多い罪を犯した重罪人を簡単な方法で殺すのは物足りない。最強度の苦痛と最高度の洗練を伴った処刑方法を選ぶべきだというわけであろう。

この小説にはもう一人、残忍な方法で殺される者が出て来る。袁世凱を殺害しようとして失敗した銭雄飛だ。この男には凌遅という刑が適用される。この刑は本来朝廷の任命官を刺殺したものに適用されるのであるが、銭雄飛は袁世凱という当代一の権力者の命を狙ったというので、この刑が科されるのである。それは、五百回にわけて犯罪人の肉を切り取っていくというもので、五百回以前に死なせてはならず、五百回目ちょうどで死ぬようにせねばならぬ。高度な熟練を要することは、白檀の刑に劣らない。

銭雄飛を処刑したのも趙甲だった。趙甲は鋭利な刀で以て、銭の体から肉を切り取っていく。まず乳首の当たりの肉から始まり、上半身の肉を次第に削り取る。上半身が因幡の白うさぎのような状態になったところで、陰茎と二つの睾丸が切り取られる。睾丸は痛みのあまりに体内に入りこんでしまっているので、そいつを引っ張り出して切り取らねばならない。そして仕上げは顔だ。両耳につづいて二つの目玉がえぐり出される。それでも銭雄飛は死なない。かれが死ぬのは丁度五百回目に肉を切り取られてときだ。その時には、銭雄飛は解体された豚のような状態になっているであろう。

中国人がここまで刑の残酷さにこだわるには相当の理由があるようだ。莫言は、その理由の一端を、中国において処刑に持たされている法律的、心理的根拠という言い方で、次のように説明している。
一、 法の冷酷無常さと処刑人の容赦なさを誇示すること。
二、 見物の群衆の心に衝撃を与えることで悪心を戒め、犯罪をさせないようにすること。これぞ歴代王朝が公開処刑を行って、人びとを見物に誘ってきた理由である。
三、 人びとの心理的需要を満足させること。どんな面白い芝居も、生きた人間を凌遅するに勝るものはない。北京の大獄の高級処刑人が宮廷で甘やかされた役者どもをまるでバカにする理由もそれである・

この異常とも思える刑罰へのこだわりは、中国歴代の王朝の統治の正統性をめぐって生じているようだ。清朝もそうであったが、中国歴代の王朝には、異民族による支配が多かった。異民族が漢民族を支配するのであるから、支配の正統性は暴力によって基礎づけられるほかはない。民衆は権力に自分を一体化させることがないからだ。そういう政治体制にあっては、力への恐怖が支配を基礎づける。だから権力はたえず、民衆に対して、権力への反抗がどんなに強烈な罰を呼ぶかについて、たえず知らしめる必要があるのだ。

孫丙と銭雄飛の処刑はあくまでも小説の中のフィクションである。それに対して戊戌の変法の六君子の処刑は、ある程度史実を踏まえているようだ。小説の中の六君子は、いずれも銃殺されている。銃殺だから一瞬のことがらで、大して痛みを感じない。それは、彼らの罪が、孫丙や銭雄飛に比べて軽微であったというわけだろうか。

こうした中国の処刑文化に比較すれば、日本のそれは微温的といえよう。日本でもっとも残酷な刑と思われるものは十字架への磔だろう。これは徳川時代に、キリシタンや姦通者に対して適用された。政治犯ではない。そこに日本人が刑罰に込める意図が感じられそうである。日本では、宗教や人倫について常軌を逸した者に極刑としての磔が適用されたわけだ。ちなみに、通常の磔の刑にあっては、二人の処刑人が槍を持って、それを同時に犯罪人の腹に突き刺す。その上で、槍を捩じ上げるようにして絶命させるというやり方をとったようだ。

ともあれ、中国の処刑文化は実に洗練されている。その処刑文化に感嘆したドイツ人に、莫言は次のように言わせている。「中国はなにもかも遅れているが、刑罰のみは先進的である・・・中国人はこの方面に特別な才能を有する。最大の苦痛に耐えて、はじめて死を与える~これぞ中国の芸術であり、中国の精髄である・・・」







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