茶の味:石井克人

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石井克人の2004年の映画「茶の味」は、ホームドラマをアニメ趣味で味付けしたような作品だ。アニメでなら不思議ではないようなことが、現実の出来事として語られるといった具合なのだ。筋書きらしいものはない。家族の成員それぞれの身に起こる出来事が、雑然と描写されるのである。

その家族春野一家は、里山近くの村落の一画に住んでいる。高校生の兄と小学生の妹がいて、両親のほかに祖父と母親の弟が居候として住んでいる。この一家は、母親の姓を名乗っていて、祖父は父親の父親なのだ。その祖父は母親と仲が良い。母親はイラストレーターなのだが、そのイラストのインスピレーションを祖父から受けているのだ。

高校生の一は、自転車で最寄りの駅まで行き、そこから電車に乗って学校に通っている。かれは女に惚れやすい少年で、片思いをしていた女生徒が転向していったことにショックを受けている。ところがその子と入れ替わりに別の女生徒が転向してくると、その子に夢中になってしまう。かれの恋はやがて成就されるであろう。

妹の幸子は、自分自身の幻影につきまとわれていることに悩んでいる。その幻影は、彼女そっくりなのだ。ただし彼女よりだいぶ大きい。しょっちゅう彼女の前にあらわれるのだが、他の人には見えない。鉄棒の逆上がりができるようになれば、その幻影から解放されると思った彼女は、毎日のように、森の中にある鉄棒で逆上がりの練習をする。それにはわけがあった。居候の叔父が、子どもの頃やはり幻影に悩まされたことがあった。その幻影は、刺青をした男の姿で、体から血を流し、頭の上にうんこを乗せていた。そのうんここそは、少年としての叔父が、骸骨となったその男の頭に垂らしたものだったのだ。以来すっとその男の幻影に悩まされたのであったが、ある日逆上がりができるようになると、ぴたっとあらわれなくなったのである。その話を聞いた幸子は、自分の場合にもそうしたことが起るんではないかと思い、せっせと逆上がりの練習に励むのである。その練習はやがて実を結ぶであろう。

父親は他の町で精神療法家をやっているらしい。催眠術をかけるのが得意である。息子の一とは、しょっちゅう電車のなかでいっしょになる。あるときその電車に、漫画チックな連中が乗り込んで来る。そこでひと騒ぎが起き、それがきっかけで漫画チックな人間が春野家に居候したりする。変わった人間を家に迎えるのは、母親の趣味なのだ。

居候の叔父アヤノは、音楽の仕事をしている。彼には昔、好きな人がいたらしいが、その女性は他の男と結婚したのだった。そんな彼女にアヤノはお祝いを言いに行ったりする。

父方の叔父がもう一人いて、その叔父はアニメーションの制作をしているらしい。その叔父から、アヤノへ仕事の依頼がくる。映画作品のミュージックを担当してほしいというのだ。こうして映画の製作が始まる。その映画には、母親と祖父も出演する。祖父はパフォーマンスがうまいのだ。映画は無事完成し、関係者への披露目がされる。その直後に祖父は死んでしまうのだ。

残された一家は、祖父の部屋を整理する。すると何冊かのイラスト帳がみつかる。それは家族の成員それぞれの、一定の動作にかかわる絵コンテなのだった。みなはそれぞれ、自分自身の絵コンテに見入りながら祖父を偲ぶのだった。

こんな具合で、他愛のない作りの映画なのだが、その他愛のなさが一つの魅力となって、見ている者を飽きさせない。おそらくどんなに長く続いても、飽きないのではないか。なお映画の中では、家族が茶を飲むシーンが多く出て来る。茶を飲むのは日常性の表現だ。この絵は、今の日本の庶民の典型的な日常を描いていると言いたいわけであろう。






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