芝神明増上寺、金杉橋芝浦:広重の名所江戸百景

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(79景 芝神明増上寺)

増上寺は浄土宗の関東大本山だが、徳川家の菩提寺でもあったので、江戸市内では上野の寛永寺と並んで繁栄を誇った。その増上寺に隣接して、大門の向かって右側に芝神明神社がある。毎年九月に行われる祭礼は、十日間も続くので、だらだら祭と呼ばれた。また、この時期には秋の長雨と重なるところからめくされ祭とも呼ばれた。

この絵は、左手の遠景に増上寺の大門とその奥にそびえる本堂の屋根が描かれ、画面右手に神明神社の本殿が描かれている。この絵には出てこないが、神明神社の社前にはさまざまな芝居小屋や遊興施設がならび、江戸南部を代表する盛り場となっていた。

手前の庶民の群は、増上寺へのお参りから出てきた人びとだろう。その後ろを歩いている僧侶の集団は、市中へ托鉢に赴くところ。増上寺の修行僧たちは、毎日七つ刻(午後四時頃)に集団を組んで托鉢に出かけるところから、七つ坊主と呼ばれた。

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(80景 金杉橋芝浦)

古川は増上寺の門前付近では赤羽川といい、その下流を金杉川といった。その金杉川を東海道がわたる橋を金杉橋という。いまでもコンクリート橋として存在している。

この絵は、南の方角から金杉橋を俯瞰した構図。橋は人々の陰にかくれて、かろうじて欄干が見える。手前に南無妙法蓮華経と書かれた幟が見えることから、日蓮宗の、おそらく御会式の行列ではないかと思われる。旗竿の傘の部分には池上本門寺の紋が書かれているし、右側の傘にぶら下がっている手ぬぐいには身延山の文字が書かれていることも、それを傍証している。左手の手ぬぐいに染められた魚栄梓は版画の版元魚栄への礼儀であろう。

このあたりの海は、江戸有数の漁場で、カレエやクロダイなどがよくとれた。






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