昨日(12月4日)の菅首相の記者会見をテレビで見ていて、思わずのけぞってしまった。コロナワクチンの開発の目途が見えて来たことを踏まえて、取材記者が「いつ頃摂取できるようになるか」と聞いたところ、「現時点で政府から予断をもってその時期を明確にすることは控えたい」と答えたからだ。
普通、この手の質問には、「できるだけ早く実施できるよう努力したい」とか、一応前向きさを感じるような言い方をするものだ。ところが発言を「控えたい」と言うのは、「答えたくない」と言っているようなもので、まるでやる気がないように受け取れる。「言葉のあや」というように、言葉は使い方でいかようにも聞こえるものである。今回はわざわざやる気がないように聞こえるような言い方をしたとしか思えない。
聞かれたことに明確に答えないのは、菅首相のいつものやり方で、学術会議問題や安倍首相の桜を見る会の問題でも、発言拒否を連発した。新聞の調査によると、その数は異常な多さにのぼるそうだ。そのことを踏まえて、菅首相には逃げの姿勢が指摘されている。「何ごとも明確に発言することを控えたい」と言って、逃げてばかりいるというわけだ。逃げてばかりでは、一体何のために首相の椅子に座っているのかわからない。
菅首相本人としては、自分が首相の椅子に座っているのは、そのこと自体に意味があるので、それ以外の仕事をするのは余計なことだと考えているのかもしれない。自民党が菅首相に求めているのもそういうことのようだ。だが、それでは国民は不幸というべきだ。なにしろ滅多に開かない首相会見を、「発言を控えたい」で結ぶのでは、国民はいったい首相が何を考えているのか、皆目見当がつかないではないか。こういう人物に、いつまでも首相の椅子に居座られるのは、国民として迷惑というべきである。
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