胸を張ってウソをつくのも才能のうち

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いわゆる「桜を見る会問題」に関して、支持者を集めての宴会に安倍事務所側が経費の一部を補填していたことが明らかになった。この問題については、安倍前総理は一貫して、そのようなことはないと明言してきたわけで、事実との食い違いが浮かび上がった形だ。安部前総理は、補填したのは秘書の一存でしたことで、自分は一切知らなかったと言い抜けるつもりのようだが、いかにも見え透いたやり方に見える。

安倍前総理は、この宴会は支持者たちの会費制によるもので、安倍事務所は一切かかわっていないと言ってきた。それが事実でなかったということは、どういうことなのか。安部前総理が実情を認識したうえで、そういうことを言ったのなら、安倍前総理はウソをついていたということになる。もし、自分自身は知らなかったと言うなら、秘書への監督責任を問われるところだろう。一回だけならまだしも、数年に渡って毎年同じような補填がなされたというのだから、安倍前総理がそれに気づかなかったという言い訳はいかにも苦しい。

国会事務局の調査によれば、この問題について安倍前総理は、事実と異なることを118回も国会で答弁しているそうだ。それも胸を張っての堂々たる口ぶりで、外目には、これだけ自信をもって言っているのだから、もしかしたら本当かもしれないと思わせるだけの迫力があった。

もし安倍前総理がウソをついていたとして、ウソが全面的に悪いということにはならないという意見もある。ウソが大目に見られるのは、敵の目を欺くという意図に出たときだろう。その敵が、大多数の当事者にとって共通の敵といえるのなら、そのウソは大目に見られる。国際紛争に関する場合のウソはその典型で、そういうウソは方便として許される。

しかし今回の安部前総理の場合、そのような敵に相当するのは誰か。とりあえずは安倍前総理が政敵と見なしている野党の諸君だろうが、その背後には国民がいる。国会での発言というのは、単に野党に向けてではなく、国民に向ってなされたものと言えるからだ。その国民に向ってウソをついたということであれば、安倍前総理は国民を敵と見なしていることになる。その国民に向って胸を張ってウソをついたということは、たいそう大胆なことである。才能がなければできないことだ。





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