黄昏:マーク・ライデル

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1981年のアメリカ映画「黄昏(On Golden Pond)」は、アメリカ人の家族関係をわかりやすく描いた作品だ。小生はこの映画を見ながら、小津の「東京物語」をたえず想起した。この映画に描かれた家族家系が、小津の描く日本人の家族関係とあまりにも対象的で、色々考えさせられることが多かったのだ。

小津の描く日本人の家族は、言葉によって表現せずとも、互いにわかりあえるような関係を築いている。それに対してこの映画の中の家族は、つねに言葉を張り上げながら、互いの意思を伝達しあっている。キャサリン・ヘップバーン演じる老妻などは、長く連れあって来た夫に対して、初めて出会った人のように、大きな声にゼスチャーをまじえながら、私はあなたを愛していますと叫んでいるし、夫は夫で、幾分はにかみをまじえながら、そんな妻に向って、俺もお前を愛していると、言語的なメッセージを発し続ける。そこはやはり、伝統とか文化の違いに根差しているのだろう。小生のような日本人には、かえって疲れを感じさせられるところだ。

クレジット上は、キャサリン・ヘップバーンがトップキャストに位置付けられている。彼女は、アメリカ映画の生んだ最大の女優と評価されている通り、もっともアメリカ女性らしさを感じさせる。いまでも絶大な人気を誇っているのは、日本人が高峰秀子を愛するのと同じようなものだと思う。高峰秀子は、もっとも日本の女性らしさを感じさせる女優だった。キャサリンが、そうした名声を確立するにあたって、この映画が果たした役割は大きかった。一方、夫を演じたヘンリー・フォンダは、これが最後の出演作品となった。かれはこの映画が公開された翌年の夏に、心臓発作で死ぬのである。この映画でもらったアカデミー賞の主演俳優賞が冥途の土産になった。

この映画は、そのヘンリー・フォンダの娘ジェーンがプロデュースした。この父娘には、確執があったと言われるが、その確執がこの映画のなかでも描かれている。しかし、この映画が機縁になったのか、この父娘は仲直りしたということだ。この映画の魅力は、キャサリン・ヘップバーンの演技もそうだが、ヘンリー・フォンダの渋い演技が光っていることからくる。ヘンリー・フォンダは、決して器用な俳優ではなかったが、深い人間性を感じさせるところがあった。とくに「怒りの葡萄」の中での、トム・ジョード役は、かれの一世一代の演技と言ってよい。アメリカ映画の生んだ、最も個性的な俳優と言ってよいのではないか。

映画の筋書きそのものは単純なものだ。湖畔の別荘に暮らす老夫婦のもとに、長い間離れて暮らしていた娘が、フィアンセを連れてやってくる。フィアンセにはローティーンの男の子がいる。その子をあずかった老夫婦は、子どもとの絆を深める一方、互いの絆も深めていくといった内容だ。その過程で、父親と娘も互いに打ち解けるようになる。そうなったところで父親は、すでに死ぬ準備が整ったと受け取るのだ。だからこれは、老いて死を受け入れるといったテーマを扱ってもいるわけだ。小津の映画の中では、死は突然やって来た、この映画の中では、死は十分に準備されたうえでやってくるのである。






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