浅草田甫酉の町詣、箕輪金杉三河しま:広重の名所江戸百景

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(101景 浅草田甫酉の町詣)

吉原は周囲に田甫が広がっていた。浅草田甫という。その西南方向の一角に、お酉さまで有名な鷲神社があり、毎年十一月の酉の日に祭礼が行われ、酉の市が催された。酉の市では、熊手のほか、ヤツガシラの芋とか、黄金餅などが、縁起物として売られていた。いまでも、熊手は商売繁盛のまじないとして人気がある。

この絵は、吉原の遊女屋の部屋から、鷲神社方面を望んだ構図。画面左下に、白い布に置かれた数本の熊手が見える。酉の市で買ってきたものだろう。障子の張り出しに猫がうずくまって、田んぼを見ている。視線の先には鷲神社があるのだろう。

なお、画面中ほどに横に連なっているイメージは、熊手をかついだ人々の行列であろう。冬の日とあって、雪を被った富士山がくっきりと見える。

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(102景 箕輪金杉三河しま)

箕輪は奥州街道沿いにあって、荒川が洪水で渡れないときに、宿場の役割を果たしていた。そのため、原宿とも呼ばれた。金杉と三河島は箕輪の西に隣接し、徳川時代には湿地帯が広がっていた。

その湿地帯に、冬に鶴が渡ってきた。その鶴をあてにして、将軍の鷹狩が行われた。鷹を放って鶴をとらえたのである。

この絵は、湿地帯で遊ぶ二羽の丹頂鶴を描いている。上部に鶴が大きく描かれているのは、広重一流の誇張。鋭い目が印象的である。遠方に見える家並みは、横に連なっているところからして、奥州街道沿いの光景であろうか。






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