リチャード三世:嘆きの王冠 ホロウ・クラウン

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イギリスのBBCは2012年と2016年にわけて、シェイクスピアの一連の歴史劇をもとに七編のドラマを作り、「嘆きの王冠 ホロウ・クラウン」シリーズと題して放送した。また劇場用に作り直しもした。「リチャード三世」はその最後を飾る七編目の作品である。同名の歴史劇をほぼ忠実に映画化したものである。

シェイクスピアの歴史劇の中でも「リチャード三世」は、とりわけプロブレマティックなものだ。実在した国王をテーマにしている点では他の作品と同じだが、その描き方がすさまじい。リチャード三世は血に飢えたけだものとして描かれており、行動自体も卑劣だが、かれを非難する人々の声はそれ以上にリチャードの卑劣さを感じさせる。実在した国王をそのように描くことは、日本ではとても考えられない。日本でも、皇室内での血まみれの闘いは歴史上あったわけだが、それが露骨に描かれることはない。ところがシェイクスピアは、国王を卑劣な人間として描いて罰せられることもなかったのである。

それには、シェイクスピアの時代の女王エリザベス一世がチューダー朝の出身で、リチャード三世の出身であるヨーク家を倒して王統を継いだという事情があったものと思えるの。それにしても実在の国王を批判的に描いて罰せられなかったというのは、かなり興味深いことではある。

映画は、そうした原作の持つ雰囲気をよく生かしている。舞台と違って映画は、登場人物の仕草とか心理の状況をことこまかに描けるという長所がある。この映画はそうした長所を最大限生かしている。リチャード三世は、自分の内部に秘めた野心を舞台の上で独白するのであるが、そしてそれがこの歴史劇の最大のポイントとなっているのであるが、その独白をスクリーンのこちら側にいる観客に向ってつぶやく。すると観客はその独白の内容を、秘密として共有したような気になり、劇の成り行きを、リチャード三世になったつもりで見守るような具合になるのである。

一方で、リチャードの悪逆無道な行為は、映画特有の技術を通して、重複拡大した形で示され、そのため観客は、リチャード三世に対して、いうにいわれぬ憎しみを抱くことになる。映画の中では、舞台におけると同様、そうした憎しみを、愛する者をリチャードに殺された女たちが呪いの言葉として吐き出すのであるが、その女たちの怒りが、観客にもそのまま乗り移って、リチャードの没落と死を願うようにさせられるというわけなのだ。

そんな具合でこの映画は、「リチャード三世」という稀有な歴史劇の映画化という点では大いに成功を収めているといえよう。とりわけセムシで足を引きづって歩くリチャードの醜悪さがよく出ている。その醜悪な外見に邪悪な心が乗り移ると、人間は悪魔顔負けのことをするようになる、ということが、この映画からは強烈なインパクトをもって伝わってくるのである。






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