雲をつかむ話:多和田葉子を読む

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「雲をつかむ話」は、多和田葉子の小説としては比較的骨格のはっきりした作品だ。多和田の小説は大部分が半分以上エッセーの要素からなっていて、筋書きには乏しい。ほとんどないに等しい場合が多い。語り手が様々な土地を移動しながら、行った先で様々な人と出会い、それらの人達との間で会話を交したり、それらの会話を通じて語り手の感性がエッセーという形で表出されたり、といったものがほとんどだ。ところがこの「雲をつかむ話」は、一応筋書きらしいものがあるし、登場人物にもはっきりした輪郭を持った人物が出てくる。そしてそれらの人物たちが互いに深く結びついている。他の小説のように、互いに何の関係もない人たちが、漫然と入れ替わりながら過ぎていくというのではなく、互いに響きあっているのだ。

語り手のほかに重要な役割を果たすのはフライムートという名の男だ。フライムートは小説の最初で出てきて以来、つねに語り手によって言及される。小説の最後にも出てきて、いわばキリの部分を演じさせられる。それは回想といった形で、正面からフライムートが描かれるわけではないのだが、回想というような形をとることでかえって印象的な結末になっている。

そんなわけでこの小説は、構成の上では円環を感じさせる。最初に出てきたフライムートが最後に戻ってくることによって、小説全体に円環的なまとまりを与えている。しかも最初と最後の間には、たえずフライムートへの言及が繰り返され、小説全体がフライムートを巡って円環を描いているような印象を与えるのだ。そのフライムートが体現しているイメージは、監獄のイメージだ。フライムート自身が監獄に入れられたのであるが、ほかの主要な登場人物たちも監獄との接点を持っている。双子の兄弟の片割れであるオスワルドは、挑発的な無賃乗車をして監獄に入れられてしまうのだし、マヤという女性も神経症的なトラブルから監獄に入れられる。そのマヤから語り手は監獄に招待されるのだが、その監獄は、日本人である語り手の抱いていた監獄のイメージとは大分異なっていた。ドイツの監獄はかなり開明的で、囚人たちにとってかならずしも暮しにくいところではないらしいのである。

日本では、監獄は非常にイメージが悪い。投獄という言葉がそのイメージの悪さを象徴している。多和田は、その投獄という言葉を、「地獄」に「投げ」入れられるというふうに解釈しているが、たしかに日本の監獄には地獄のイメージがつきまとっている。ところがドイツの監獄は、規則を守ってさえいれば人間的な待遇をしてくれる。本を読むことも自由だし、外出許可もある。じっさいフライムートは外出許可をもらってハンブルグの語り手の家に訪ねてくるのだ。語り手はそんなフライムートを、自分のほうからも訪ねるべきだと思うのだが、躊躇しているうちに23年が過ぎてしまう。ドイツでは死刑はなく、終身刑が最高刑だが、死ぬまで監獄に入れられていることはなく、長くとも15年で解放される。だから語り手はフライムートを監獄に訪ね損なってしまうのだ。

だが、語り手は別の形でフライムートと再会する。それは飛行機の中でだった。その飛行機の中も監獄と同じような雰囲気だから、ある意味で語り手は、監獄の中でフライムートと再会したともいえる。その時、フライムートの隣に、語り手とは反対側の席に座っていたのが女医であった。この人との出会いが、この小説での語り手の最後の出会いとなる。女医が登場するについては、語り手の身体に不具合があった。語り手は女医から慢性疾患と診断されるのだが、それはもう長い期間にわたって風邪を引き続けているというものだった。女医は語り手の病気を心配して色々と面倒を見てくれる。語り手が慢性的に病気なのは、その生き方が影響している。語り手はたえず冒険をしたがるが、冒険は危険を伴うし、身体にはよくないというのだ。「危険を避けていたら、面白い体験はできない」と語り手が言うと、女医は「面白い話は他人のものでしょう。あなたの話ではないのだから」といって受けあわないのである。

こんな具合にこの小説は、フライムートを中心にして、登場人物たちがそれぞれ監獄を通じて結びついているのである。なのに「雲をつかむ話」というタイトルをつけたのはどういうわけか。「監獄の話」ではなく、「雲をつかむ話」とはどういうわけか。

「雲をつかむ」という日本語は、なにか取り留めのないことをあらわす言葉である。雲というものは、空のはるか彼方にあって、ふつう人間がつかめるものではない。登山して高い山の上から雲を見下ろすようなことはあっても、その場合でも雲を手でつかむのは、イメージとしてはなかなか思い浮かばない。そういう場合には、「つかむ」というよりは、「見下ろす」とか「乗る」とかいったほうが相応しいのではないか。「見下ろす」ということについては、多和田は次のように書いている。「雪のようにふわふわ積もった雲を上から見下ろして、飛び降りたいと思うこともある。気持よさそうだ。雲の上に住むようになったら、『曇り』とか『雨』とかいう天気はもうなくて、台風も、もちろん地震も津波もなくて、いつも晴なんだろうなと思う」。こういう多和田は、自分が飛行機の中にいるつもりなのである。

ともあれ「雲をつかむ話」とは、ふつうはありそうもないことを、さもありそうなこととして話すことのようである。たしかにこの小説には、そうした「ありそうもないことを、さもありそうに語っている」ようなところはある。むろん、ありそうなことを、さもありそうに語っている部分もある。たとえば、「神はどうしても姿を現わさないといけない時にはフェルクスワーゲンではなく、雲で身体を隠して現われるのだそうだ」というような表現である。ドイツ人にとって、神が雲に隠れながら現われるというのは、さもありそうなことなのであろう。

他にありそうな話として、多和田はカフカの小説「アメリカ」の一節に言及している。「アメリカ」の最終章は、主人公がアメリカのオクラホマへ出かける話なのだが、そのオクラホマを多和田は、「もっと正確にいえばオクラハマ」と言っている。小生はオクラホマとしか記憶しておらず、この指摘を読んで、自分の記憶違いかと思った。そこで早速、角川文庫版の「アメリカ」の日本語テクストにあたったところ、中井正文の日本語訳はオクラホマになっていて、オクラハマという言葉は出て来ない。多和田はどういうつもりでこんなことを言ったのだろう。しかも、「ハマは日本語で浜という意味だから、わたしはオクラ浜だと思っている」と付け加えてもいる。オクラホマは内陸の州であるから浜はない。だから多和田の思い込みは二重に根拠が欠けていると言わざるを得まい。ともあれ多和田のカフカへのこだわりは、小説のこんな部分にも現われるということらしい。

完全に事実と合致した部分もある。「路面電車は元々共産圏に属していた東ベルリンを走っていて、西ベルリンにはなかった。壁が崩れてから、西に延びていった路線もあるが、今でもほとんどが東である」というのがそれだ。小生はベルリンに旅行した際に、イーストサイド・ギャラリーを見物したあと、ワルシャーヴァー・シュトラーセから路面電車に乗り、環状道路を半周してハウプト・バーンホフまで行ったことがある。これは元々東ベルリンを走っていた路線を、西ベルリンのハウプト・バーンホフまで延ばしたということだろう。

全く荒唐無稽な部分もある。「雲は水が蒸発してできたものなのだと聞いたが、海のほうから流れてくる雲は塩辛いんだろうか」と多和田は疑問を発している。水は蒸発すると真水となって不順な成分は含まなくなる。だから多和田のこの疑問には根拠がない。もっともこれは荒唐無稽というより、単なる無知といったほうがよいかもしれない。

無知とは言いすぎだったかもしれない。多和田は言葉のあやを楽しむのが好きで、たえず駄洒落を飛ばしているが、それは受け取る人によっては無知と聞こえる場合もあろう。そう聞こえるのを覚悟して、言葉遊びに耽るところが多和田らしいところだ。






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