貴堂嘉之「移民国家アメリカの歴史」

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2016年に刊行された西山隆行の著作「移民大国アメリカ」は、トランプの移民排斥の主張に強く刺激されて書いたということだが、その二年後に刊行された貴堂嘉之「移民国家アメリカの歴史」もやはり、トランプの主張に刺激されているようだ。移民をどう見るかについては、肯定、否定色々な見方があるが、いづれにしても今日のアメリカが移民なしで成り立たなかったことは明らかだ。移民と言ってもさまざまな背景や、受け入れ方の相違がある。白人の受け入れはおおむね好意を以てなされたが、アジア系の移民はひどい差別待遇を受けてきた。この本はそんなアジア系の人々の立場からアメリカの移民の歴史を振り返ろうとするものである。

アメリカへの移民が、移民問題として前景化するのは19世紀の半ば以降のことだという。それ以前には、移民という概念はないも同然だったらしい。移民というと、ネガティブな印象がつきまといがちで、そもそも移民で成り立ってきたアメリカには相応しくない言葉だ。そんなわけで当初は移住という言葉が使われていたと言う。アメリカはヨーロッパから移住してきた人々が作り上げた人工的な国家だという認識が、それにはつきまとっている。

移民が問題化するのは、1860年代の南北戦争以後のことで、黒人奴隷制が廃止され、露骨な奴隷輸入ができなくなって、それに代る労働力を海外、とくにヨーロッパから受け入れなければならなかったことが大きく働いている。そうした移民は、黒人奴隷と違って、自由な意思でアメリカにやってきたということにされた。実際そうした移民たちは、西欧系の白人が中心だったので、すでにアメリカに住んでいたアングロサクソンを中心とする西欧系の移民と親和的なところがあった。そういう事情が、移民について好意的な反応を引き起こしたわけである。

西欧以外の地域から移民がやってくるのは、19世紀の末近くになってからである。西部の開拓が本格化し、労働力の深刻な不足が移民を招き寄せた。そうした事情のもとで、中国人を手始めとしてアジア系の移民もやってきた。白人としては、東欧、南欧からもやってくるようになる。そうした新たなタイプの移民は、とかく差別の対象となったが、とりわけアジア系移民はひどい差別を受けた。東欧や南欧からやって来る白人たちが、アメリカ社会への包摂を前提に受け入れられたのに対して、アジア系は排除の対象となってきたというのである。

ヨーロッパ系の移民を受け入れる窓口としては、ニューヨークのエリス島が、また、アジア系の移民を受け入れる窓口としてはサンフランシスコのエンジェル島が使われたが、両者における移民の待遇は極端に異なっていたようだ。エリス島では、包摂を前提に手続きが行われたのに対して、エリス島では、犯罪者のような取り扱いを受けたという。

そのアジア系の中でもっとも早くやって来たのは中国人だ。かれらは、金の採掘現場や鉄道建設現場で安い労働力として働いたが、早くから排斥の対象とされた。1880年代には「排華法」というものが作られ、中国人は「帰化不能外国人」と規定され、アメリカ国籍の取得の道が鎖された。いわゆる黄禍論が吹き荒れていたわけである。

中国人に続いて日本人や朝鮮人もやってきたが、かれらもまた中国人と同じような扱いを受けた。アメリカは、移民から成り立っているという自己認識をしていたが、その移民の中心はあくまでも白人であり、アジア系は排除の対象だったというのである。アジア系への迫害は、第二次世界大戦中における日系人の強制収用という形でピークに達するが、これはまさに非人道的な行為であり、さすがのアメリカも、レーガンの時代に公式に謝罪せざるを得なかった。

アジア系への露骨な差別待遇がゆるんだのは、1965年の移民法改正以降のことだ。この改正によって、アジア系移民は帰化不能外国人のレッテルから開放され、帰化する道が開けた。そのことでアジアからの移民が激増するようになる。いまのところまだ、アジア系の割合はそう多くはないが、今世紀の半ばごろには、黒人を抜いて、13パーセントほどの割合を占めるようになるだろうと予測されている。

トランプの移民排斥は、とりあえず中南米系の不法移民を対象としたものだったが、それが、白人が少数派になることへの恐怖に根ざしていることからすれば、やがてアジア系も排斥の対象になることは十分予測される。

以上簡単に見てきたとおり、アメリカの移民政策は非常に人種差別的だったというのが著者の見立てである。アメリカは、移民の力に期待して、その能力を高く評価して見せるのだが、その場合かれらが移民としてイメージしているのは、西欧を中心として白人であって、アジア人やヒスパニックは対象外なのである。それでも白人以外が移民として迎えられるのは、安価な労働力としてである。そうした安価でかつ豊富な労働力を絶えず調達できたことが、アメリカが繁栄してきた最大の要因であった。だから、好景気で労働力需要が高まるときには、大量の、しかもアジア系やヒスパニック系の労働力まで受け入れられるが、不況になると真っ先に切り捨てられる。アジア系やヒスパニック系、黒人などはアメリカ経済の調整弁として使われているわけである。そんなことから著者はアメリカを人種差別国家だと考えているようである。

アジア系の移民集団のうち、これまでもっとも成功してきたのは日本人だという。第二次大戦中には強制隔離などの厳しい処遇に苦しんだが、兵士として進んで応募したことが評価されたりして、戦後少しづつ待遇がよくなり、成功する日系人も出てきた。もっとも有名なのは、ハワイ選出の上院議員ダニエル・イノウエだ。かれは、日本人のみならず、アジア系の移民のために大きな功績を残した。そのイノウエが日本を訪問した際に、時の首相岸信介と会談したことがあった。イノウエはアメリカ社会での日系人の成功を喜び、やがて日系人が駐日アメリカ大使として赴任するかもしれないと述べた。それへの岸の答えが、いかにも岸らしい。「お前らは国を捨てた出来損ないではないか、そんな人を駐日大使として受け入れるわけにはいかない」、と言ったというのである。

以上を踏まえたうえで著者は移民国家アメリカについて、次のように結論づけている。「移民国家アメリカとは、十九世紀の段階から要請された産業労働力創出のための巨大な包摂装置としての機能を持ちながら、同時に人種・民族・セクシュアリティなどにもとづく独自の『選び捨ての論理』を持って合理的選別を行い、質的・量的規制を着実に実行する排除装置としての機能をもっていた」。要するにアメリカは、白人のために存在する人種差別国家だと言いたいわけであろう。





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