日本のいちばん長い日:敗戦時のクーデターを描く

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原田眞人の2015年の映画「日本のいちばん長い日」は、半藤一利の同名の小説を映画化したもの。この小説は1967年にも岡本喜八によって映画化されている。1945年8月15日の敗戦の日を中心にして、陸軍内部の徹底抗戦分子が、敗戦の決定に抵抗してクーデターを起した。その様子をドキュメンタリー風に描いた作品だった。ドキュメンタリー風にと言うわけは、小説にしてはちょっとだらけたところがあり、かといってドキュメンタリーとしても中途半端なところがあるということだ。

半藤はこの小説を、自分の実名ではなく、大家壮一の名義で出版した。どういうつもりでそんなことをしたのかよく分からない。いまなら考えられない。しかし当時は、著作権についての日本人の意識が低く、売るためなら多少の不正は見逃されていたらしい。大宅といえば、当時は人気のドキュメンタリー作家であり、かれの名義なら多少出来が悪いものでも、売れると判断されたのだろう。

じっさい原作の出来はあまりよくない。それは、集団を描いているからだろう。集団は個人と違って、きめ細かい感情の襞などは持ち合わせないし、また、判断のプロセスも匿名的である。したがって真の意味での責任を持つことがない。そんなものを小説の主人公にしたら、だらけた小説に陥るほかはない。じっさい半藤の原作は、お世辞にもよく出来ているとは言えない。

この映画は、そうした欠点を糊塗するために、もっぱら阿南陸相という個人を主人公に据え、彼の視線に寄り添いながら、事態の展開を追っていくというような作り方になっている。だから映画としてのまとまりはそれなりにあると思う。後半は反乱兵たちの集団的な行動が中心に描かれるが、その場合でも、阿南陸相の自決場面などを効果的に挟むことによって、映画としての集中感を演出している。

その阿南陸相を役所浩司が演じ、東条の後を襲って首相の座についた鈴木貫太郎を山崎務が演じている。どちらもはまり役といってよい。これに明治天皇を演じる本木雅弘が加わるのだが、本木は天皇を演じる器ではないようだ。それでも例の詔勅を読み上げるシーンは、昭和天皇の癖をよく踏まえていて、それなりによく出来ていると思う。

この映画から伝わってくるのは、当時の日本の指導者たちへの痛烈な批判意識だ。内閣は陸海軍の対立に翻弄されて機能せず、その陸海軍の内部でも、幹部は若手将校をコントロールできない。主人公の阿南みずからが、若手の突き上げにうろたえて、主戦論を称える有様だ。結局日本の指導部のそうした無責任振りを、昭和天皇が鶴の一声でまとめたということになっている。この映画の中の昭和天皇は、日本の運命を自分のものとして受け止めている英明な君主として描かれているのである。その一方で、阿南を始め、その先輩である東条も含めて、日本の軍人のトップたちは皆無能の寄り集まりというふうな描き方である。

陸軍の無責任振りが力を込めて描かれている。その無責任ぶりは、2000万人の国民を特攻に駆り立ててアメリカに血戦を挑むのだと叫ぶところに象徴されている。当時の軍部には、おしなべて国民への責任という観念が欠けていた、と言いたいわけであろう。





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