司馬遼太郎の歴史観

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中塚明は朝鮮史の専門家で、その立場から司馬遼太郎の歴史観を批判したのがこの本だ。中塚の司馬批判の要点は二つある。一つは、朝鮮は自力では近代化ができず、遅かれ早かれ外国の植民地になる運命にあった、一方日本にとって朝鮮は地政学的な価値が大きいので、それが外国とくにロシアのものになると、国防上ゆゆしきことになる。だから日本が朝鮮を領有することには合理的な理由があったとする司馬の主張への批判だ。二つ目は、明治の日本を理想化し、それを暗黒の昭和と対比させながら、明治時代は若々しくてすばらしい時代だったと称えることへの批判である。こうした司馬の歴史観を批判しながら、日本の国家としての欺瞞性をあばきだすというのがこの本の目論見である。つまりこの本は、司馬批判を通じて、近代日本そのものを批判しているわけである。

まず、司馬の朝鮮観について。司馬の朝鮮観の特徴は、朝鮮を停滞した社会で、自己変革のエネルギーを持たないあわれな社会だと見ることだ。そうした考えは、「李朝五百年は世界に例がない貨幣ゼロの国。これでは合理的な思考が育たないのは当然だ」という言葉に集約される。李朝五百年が貨幣ゼロの国だというのは、司馬のデタラメなのだが、そうした嘘を平然とついて朝鮮を馬鹿にするところに司馬の本音があるというわけである。要するに朝鮮人は、数百年の間まったく変わらずに、いまでも古代と同じ生活をし、同じように思考しているということになる。

朝鮮人のそうしたのんびりしたイメージを、司馬は次のように表現している。「朝鮮の老農夫はだれを見ても太古の民のようにいい顔をしており、日本人の顔に共通した特徴とされるけわしさがない」。ほめているようにも聞こえ、けなしているようにも聞こえるこの言葉は、小生がかつて韓国旅行をしたさいの出来事を想起させた。韓国風アカすりサウナというものを体験しようと思って、小生は韓国風銭湯を訪れ、そこで、それこそ陰嚢の裏に至るまで、全身のアカをすりとってもらったのだが、それは脇へおいて、小生は銭湯の亭主から、あなたは一目で日本人だとわかります、と言われた。そのわけを問うと、あなたの顔にはけわしさある、そうしたけわしさは韓国人にはない、と言われたものだ。韓国人は、自分を日本人と比較しながら、けわしさにかけることを自覚しているのであろうか。

こんな次第であるから、司馬は朝鮮人を禁治産者のように扱う。要するに自分では何事も合理的な行動ができないというのである。だから放っておくと、自分のためにならない行動をするかもしれぬし、その行動が隣人である日本人に悪い影響を及ぼす可能性がある。だから、日本が朝鮮の後見人になって、朝鮮を正しく導いてやる必要がある、というふうに論理が飛躍していく。韓国併合にいたる日朝関係の基本は、朝鮮にとっては日本の後見を得て正しい発展の道をたどることができたこと、また、日本にとっては、厳しい国際関係の中において、国家としての独立を保つための基盤となったこと、というふうに整理される。

こうした司馬の朝鮮観は、なにも司馬一人に限ったことではない。ほとんどの日本人がそう思っている。朝鮮を日本は、出来損ないの弟として、保護を与えてきたのだ、とほとんどの日本人が本気で思っている。司馬はそれを作家として代弁しただけのことだ。司馬はそうした差別的な朝鮮のイメージを、小説「坂の上の雲」と紀行文「韓の国紀行」で繰り返し表現した。この二つの作品は、同時並行的に発表された。「坂の上の雲」はサンケイ新聞に連載され、「韓の国紀行」は週刊朝日に連載された。とくに「坂の上の雲」が持った影響力は大きく、日本人の対朝鮮認識を更に固定化することにつながった。司馬は大衆作家であるから、大衆の反応に敏感なのは職業意識のあらわれである。「坂の上の雲」を発表したサンケイは、自大主義的な国家意識を崇拝しているところがあるが、それは読者層の保守的国家意識を踏まえてのことであろう。司馬はそうした読者を想定しながら「坂の上の雲」を書いたので、勢い蔑視的な朝鮮観を前面に打ち出したというわけであろう。そのほうが拍手喝さいを受けるに違いなかろうからだ。

次に、司馬の明治栄光論について。司馬は、明るい希望に満ちた明治と、暗い絶望の昭和とを対比しながら、明治を極端に理想化する。この二つの時代の分水嶺となったのは日露戦争だった。この戦争以後、日本は政治的にも道義的にもひどい国になっていき、ついにはあの無謀な戦争とその結果としての国家の滅亡の危機に瀕することとなった。すべては、軍部の仕業であるというのが司馬の見方で、その点は、東京裁判史観を司馬なりに受け入れているわけだが、司馬の司馬らしいところは、明治を理想化するあまりに、日露戦争以前の日本は政治的にも道義的にも一流の国であったと断定することである。日露戦争以前の日本は、国際法をよく理解して尊重していたし、国際社会において紳士としての振舞いをしていた。それが日露戦争に勝ったことによって、変な自身を持つようになって、その結果軍部を中心にしてデタラメな道を堂々と歩むようになった。だから、日本の理想的な姿は明治にあるのであって、昭和は堕落以外の何物ではない。日本は明治に立ち返って、まともな国として生まれ変わるべきだ、というような議論になる。

こうした議論にも、中村は厳しい批判を加えている。歴史家としての立場から、厳密な資料批判を通じて、明治における日本の政治的・道義的な動きを解明している。その結果たどりついた結論は、日本はすでに維新のころから朝鮮支配の野望を持っていて、日清戦争も日露戦争もそうした野望を実現するために行われたというふうに見る。つまり日本は、明治の頃からすでに、隣国の支配をもくろむ狂暴な国家だったというわけである。そう言われれば、腑に落ちるところもある。吉田松陰が熱心な朝鮮・中国支配論者であったことはよく知られており、その影響を強くうけた薩長藩閥の連中が朝鮮支配への野望を抱いていたのはまぎれもない事実だ。だから、司馬の議論はことごとく歴史を無視した勝手な想像ということになる。そうした想像の根底には朝鮮に対する根強い偏見があったことは十分言えそうである。

司馬や、司馬の背後にいる大勢の日本人の偏見を支えているのは、歴史的事実についての歪曲された見方であると中塚は言う。そうした歪曲は、たとえば日露戦争の公式記録(日露戦史)にも見られる。中塚によれば、この記録は嘘と捏造にあふれているということらしい。そうした記録のありようが、日本人の歴史的事実についての認識を曇らせ、手前勝手な歴史観を醸成することにつながった。そう言って中塚は、日本という国家の欺瞞性を強く批判するわけなのである。

司馬は、日本が朝鮮を領有していなければ、ロシアが領有した可能性が高く、また、日露戦争に負けていたら、たとえば北海道がロシアに領有されていただろうと言って、日本の対外進出を合理化するのであるが、そうした司馬の議論は、いまでも多くの日本人を魅了している。朝鮮に関して言えば、日本は朝鮮の保護者として振る舞ったのであり、それはしいては、日本の独立を守るためでもあった。日本が朝鮮を放置していたら、朝鮮自体にとってよくない事態に陥ったばかりか、日本の独立も脅かされたであろう。だから日韓併合にいたる日朝関係の歴史は、それなりに必然性を持つものだった、というのが、今日の日本人の基本的考えではないか。それは非常に根強いものなので、司馬一人を批判したからといって、どうということもないのかもしれない。





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