五輪の赤字は都に支払わせればよい

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東京五輪の総コストは当初の見込み七千数百億円を大きく上回り、三兆円を超える巨額な規模になりそうだ。一方無観客試合になったことなどもあって、収入は見込みを下回り、巨額の赤字を記録しそうだ。その負担をめぐって、国、都、大会組織委員会との間でさや当てが始まっているそうだ。都は、新型コロナ対策などで財政は火の車、という理由で、国に負担を求めているそうだが、これは都が負担するのが筋だろう。

というのも、都がIOCに提出した立候補ファイルのなかで、大会組織員会が資金不足に陥った場合、都が補填すると明記しているからだ。そういう形式的な条件のほかにも、オリンピックの財政は開催都市が責任をもつというのがこれまでの原則だ。ハンブルグなどが五輪開催を辞退したのは、財政負担を市民が容認しなかったためだ。要するに五輪開催する都市には、相応の負担義務が伴っているということだ。その原則を前提にすれば、都が赤字を負担するのは当たり前ということになる。

それを、財政が厳しいから国になんとかしてほしいというのは、都の甘え以外のものではあるまい。五輪のいいところは都が享受するが、コストは外部に転化するというのは筋が通らない。五輪は、相応のコストがかかることを前提にして開催するというのが責任ある態度である。その責任を果たすためにも、五輪によって生じた赤字は都が負担すべきなのである。

この当たり前の原則が、日本人の間で広く共有されていないから、赤字をめぐるこうしたさや当てが生じるのだと思う。これは都にかぎらず、日本にとって恥ずかしいことだ。今後他の都市に手本を示すためにも、開催都市には権利と義務が伴うという当たり前のことを、認識させねばならない。その意味でも、五輪の赤字は都に支払わせるのがよい。

都は財政は火の車と言っているようだが、都の財政規模は、五輪赤字の負担でつぶれるほど脆弱なものではない。税収の大きな部分を占める法人税の大部分を都が優先的に徴収している。一方たいした政策を実施しているわけではない。もともと仕事をしない体質なのだから、どんなに赤字が生じても、いくばくもなくしてそれを上回る収入が見込めるのである。だから、都の役人の言うことを、あまりまともに受け取ることはない。





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