保坂正康・東郷和彦「日本の領土問題」

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保坂正康と東郷和彦の共著「日本の領土問題」は、北方領土、竹島、尖閣についての日本の対処方針について論じたものである。東郷和彦が問題の歴史的背景とこれまでの外交の経緯を振り返りながら、日本として今後とるべき基本的な道筋を、かれなりに提起し、それを踏まえたうえで、保坂との間にディスカッションをしたという体裁をとっている。

東郷の主張を要約して言えば、北方領土問題は歴史問題であり、竹島は領土問題であり、尖閣は資源問題というふうに、それぞれの問題の基本を押さえた上で、適切な対応をとるべきだということになる。北方領土問題は、アジア太平洋戦争での日本の敗北を受けてソ連の不当な占領を受けたことに根ざしており、したがって国際正義の観点からも、日本にはその返還を要求する権利がある。一方竹島と尖閣は、敗戦時には国際法上日本の領土として認められていた。それが今になって問題となったのは、相手国側(中国と韓国)がそれを歴史問題と絡ませたことにある。両国とも、もともと自分の領土だったものが、日本の帝国主義的膨張の一環として併合されたのであり、尖閣は台湾併合、竹島は朝鮮併合と切り離しては論じられない、というような態度をとっている。それに対して日本は、竹島を単なる領土問題、尖閣を単なる資源問題として取り上げるべきだ、歴史問題にされると非常にやっかいなことになる、というような言い方を東郷はしている。つまり、同じ領土問題でも、ロシアに対しては歴史の経緯をふまえて、日本にはそれを取り戻す権利があると言い続ける一方、竹島・尖閣についてはもっと事務的な話し合いをしたらどうかということを言っているわけで、そういう点では二枚舌的な姿勢を感じないでもない。

この三つの領土問題の中で、東郷は自分自身が外交官として取り組んだ来たこともあって、北方領土問題をもっとも重視している。この問題についての東郷の基本的な前提は外務省の公式立場とほとんどかわらない。すなわち、
・ソ連が北方領土領有の根拠とするヤルタ協定については、日本はその存在すら知らなかったのだから、拘束されるいわれはない
・ソ連による北方領土の占領は、当時の国際法の原則たる領土不拡大の原則に反する
・千島の放棄に言及したサンフランシスコ条約にソ連は署名していないのだから、これを北方領土領有の根拠とする資格はない

こうした基本原則を踏まえれば、日本が四島一括返還を要求するのは国際法にもかなっているし、また、じっさいソ連=ロシアはそうした日本側の主張に一定程度耳を傾けてきた。領土問題の存在を全く認めないのであれば、日本との間に領土問題の交渉を行ういわれはないわけだから、それに応じるというのは、ソ連=ロシア側にも日露間の領土問題の存在を認めざるを得ない事情がある証拠だ。

そのように基本を押さえたうえで東郷は、外交には一定の柔軟性が必要だという。やみくもに原則にこだわっていては、物事は前に進まないというわけだ。そこで東郷は、「現実的な解決法とは」何かについて、かれなりに模索するのであるが、その現実的な解決法についてのかれの考えに問題がないわけではない。外交に一定の柔軟性を取り入れることは、それなりに必要なことではあるが、柔軟性を重んじるばかり、原則がぐちゃぐちゃになっては元も子もなくなる。ところが東郷のいう「柔軟性」なるものは、かなりな程度、原則をはみ出しているように思える。柔軟性というものは相対的な概念で、実現すべき目的との関係で評価されるべきものだろう。日露関係についていえば、多大な犠牲を払ってでも、平和条約を締結し正常な国家関係を樹立すべきだという要請が、いわば至上命令になるのであれば、ある程度の妥協、すなわち柔軟性を入れる余地がないわけではない。ところが、そうした至上命題が存在しない状況で、単に隣国との関係を正常化するために、日本のほうが一方的な妥協をするいわれはない。ところが東郷の議論には、「現実的解決方法」と言いながら、日本の一方的な妥協を勧めるようなところがある。東郷は、いわゆる二島返還で落とし前をつけたがっているようだが、二島返還で収めようとするのは、これまでの外務省の原理原則を大きく逸脱するものであるし、また、必要以上に妥協するものである。その証拠に、日本が二島返還と言い出した途端に、ロシア側はそれさえも渋るようになった。外交というものは、相手があるものであり、独り相撲では成り立たないということを、外交の専門家を自任する東郷ならわかろうというものだ。このほか東郷の外交的なセンスを疑わざるをえないような記述がこの本には多見するのだが、それについては触れないでおこう。

尖閣問題については、日本政府(外務省)は、領土問題は存在しないというスタンスだが、東郷は、それでは話にならず、場合によっては不測の事態にならぬとも限らぬので、中国側に一定の配慮を見せるべきだと言っている。日本はかつてソ連側から、北方領土に関していかなる領土問題も存在しないと言われて、非常にみじめな思いをさせられたものだが、その時のソ連と同じことを現在中国相手に行っている。ソ連がその後、日本との間で領土問題についての話し合いの場に臨んだように、日本もまた中国との間に理性的な話し合いの場をもうけるべきだ。中国はいまのところ、尖閣を資源上の思惑から狙っているのであって、それならば日本にも話し合いの余地がないわけではない。これが歴史問題に転換すると手が付けられなくなるので、いまのうちに中国との間で実利的な話し合いをする余地はある。だいたい尖閣が問題となったのは、1972年以降のことで、それまで中国は尖閣を取り上げたことはなかった。それが鄧小平が来日したときに、問題の所在に言及したうえで、当分棚上げしようと言ったのは、これが純粋に資源管理の問題であり、したがって実利的に解決できる可能生があると考えたからだ。その鄧小平の誘いに当時の田中首相が乗ってしまった。そのことで中国は、尖閣に色気を見せるようになった。あの時田中首相が毅然とした言い方をしていたら、こんな問題にはならなかった、と東郷は言うのだが、これもいかにも外交官らしくない発言だ。その時の田中角栄には、中国との国交が日本にとっての至上課題だったからこそ、末梢的な尖閣の問題にこだわらなかった理由があった。その問題にこだわっていたら、日中国交回復という至上命題は実現できなかったであろう。

竹島については、これは敗戦後のどさくさにまぎれて、日本の国力が疲弊している時に、韓国側が一方的に占拠したという認識を東郷は示している。したがって日本は、これを領土問題としてとりあげ、その返還を要求すべきだということになる。しかし、竹島には尖閣のような資源上の利点はないし、また北方領土のように多数の元住民の存在もない。離れ島であって、地政学的な意義も少ない。そんな島をめぐって韓国側がかたくなともいえる態度をとっているのは、これを日本帝国主義による韓国支配の一環と位置付けているからだ。日本はそうした韓国民の感情を無視すると、うまい具合に問題を解決することはできないだろう。そう東郷は言いながら、こんなことでエネルギーを費やすのはばかげているから、あまりホットにならずに、せめて現状維持で満足したらどうか、というような言い方をしている。

以上は東郷本人の意見だが、それを踏まえて保坂との対談がなされる。保坂は日本近現代史に関心を持っていて、かれなりの視点から戦後の領土問題を考えているようだが、この対談の中では、あまり自分の意見を述べていない。





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