円通大師呉門隠棲図:富岡鉄斎の世界

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「円通大師呉門隠棲図」は、「阿倍仲麻呂明州望月図」とともに六曲一双の図屏風を構成するうちの左隻。円通大師とは、平安時代後期の天台僧寂昭のこと。宋に渡り、皇帝真宗に謁見して、円通大師の尊号を賜った。呉門は蘇州にある寺院の名称。ここを生活の拠点とし、日本に帰ることを願ったが、かなわずして、杭州で死んだ。

この絵は、蘇州の呉門寺を俯瞰した構図。右に見えるのは、太湖だろう。とすると、呉門寺は太湖のほとりにあったことになる。絵を見る限りでは、巍巍たる岩山が連立し、それらの合間の谷に塔頭が広がっているように見えるが、これは実景ではあるまい。

賛には、藤原道長が帰国を促す手紙の文言が記されている。また、宋史日本伝中の記事を併せ記している。なお、この一双の図屏風は、富岡鉄斎の作品中唯一重文に指定されたもの。

(1914年 絹本着色 六曲一双の左隻 170×376cm 西宮市、辰馬考古資料館 重文)





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