憂国論:鈴木邦男と白井聡の対談

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「憂国論」と題した鈴木邦男と白井聡の対談は、三島由紀夫と野村耿介の話題から始まる。三島はいわゆる新右翼の誕生に大きな影響を及ぼしたようだ。鈴木はその三島を人間として尊敬しているわけではなく、右翼にとっての理論的な支柱として尊重しているという。三島の右翼めいた活動は、晩年の五・六年のことだが、鈴木が三島について評価するのはその部分だけで、それ以前の三島は全く眼中にない。また、右翼としての三島についても、三島個人というよりも、森田必勝と一体となっている三島を評価するのだという。鈴木は、三島問題は森田問題だというのである。例の事件で、三島だけが死んでいたら、川端康成と変わらぬ扱いを受けたのではないか。ただの作家の自殺だと。ところが森田が一枚かむことで、極めて政治的な事件として受け取られた。その政治性は、その後の日本の右翼を強く刺激してきたというのである。

野村耿介は、そんな三島に強く影響された一人だ。野村の場合には、息子をつれて朝日新聞の本社に乗りこみ、そこで自決を図るのだが、自決の場としてなぜ朝日を選んだのかについては、たいした理由が見当たらないという。朝日には、命をかけて切り結ぶような価値はないと白井などは言っているほどである。野村は生前、一コマ漫画で朝日に馬鹿にされたことに怒り、公開討論の申し入れを行ったことがあったが、朝日は平謝りに謝るだけで、討論には応じなかった。フランスのシャルリなどは、やることはえげつないが、自分たちの表現の自由を守るためには命をかける覚悟をもっている。それに比べて朝日には、そういう気概は全くない。そんなものと命をかけて切り結ぶなどナンセンスだというわけである。

三島も野村もテロを肯定していた。しかし、自分たちはテロを行わなかった。かれらの行動はあくまで自決であって、相手を殺したわけではない。「相手を殺したら、ただの人殺しになってしまうことがわかっていた」というのである。

ともあれ、鈴木も白井も、日本の右翼運動にとって三島の果たした役割を高く評価する。一方作家としての三島を評価することはない。作家として高く評価されているのは高橋克己だ。だが手放しというわけではない。高橋をより高く評価するのは鈴木のほうだが、鈴木は特に「邪宗門」をとりあげている。これは大本教をテーマにしており、その大本教が成長の家の前身だからだろう。鈴木が学生時代から成長の家の信者だったことは周知のことだ。成長の家は、日本の右翼運動に強い影響を及ぼし、「日本会議」の連中などは、菅野完によれば、かつて成長の家の運動にかかわったものが中心になっている。だが、現在成長の家は、「日本会議」とはかかわりがないと言っているそうだ。

鈴木は新右翼として、公安とは一線を画しているそうだが、ふつう、公安と右翼は仲間意識で結ばれているという。その公安は、戦前の特高の新たな居場所として作られたと鈴木はいう。特高が、例の入管にそのまま横滑りしたということは聞いたことがあるが、横滑りの場所としては、公安のほうが大規模だったわけだ。公安は、特高の生き残りのために作られたようなもので、それ以外の存在意義はないと鈴木はいう。「刑事警察や交通警察は必要ですが、公安警察はいりませんよ」とまで言っている。それに対して白井は、「犯罪を防いでいるのではなく、むしろ犯罪を助長しているわけですな」と応じている。白井がそういうわけは、共産党憎しのあまり、その憎しみを右翼と共有し、右翼の暴力を煽っているからだということらしい。

天皇とくに平成天皇については、鈴木も白井もいい感情をもっている。その天皇を安倍晋三をはじめとした右翼の連中が政治利用していることは許せないという。安倍が天皇を政治利用しようとするのは、長州人のやり方をひきついでいるのであって、長州人こそは、天皇を自分たちの権威の源泉として担いできた当人である。その担ぎ方は、天皇を掌中の玉扱いするもので、天皇に対する敬意は全くないと批判している。田舎侍が、手にした権力に箔をつけるために、天皇の権威を利用しただけというのである。

平成天皇の生前退位発言は、天皇の安倍に対する対抗意識が働いた結果だという。また、安倍の改憲策動をけん制する意味合いもあったという。そんな安倍に、天皇から対抗意識を持たれるほどの人間的迫力があるかどうかは、また別の問題であるが。

安倍に象徴される戦後日本の保守政治の本質は対米従属にあるというのが二人の共通の見方だ。対米従属の深まりが、日本人から自主性を奪っている。他人に従属する人間には自主性などかえって邪魔だからだ。その結果日本人は、ますます自分の頭で考えなくなり、アメリカの言いなりになった。それならいっそ、大政奉還をして、アメリカに直接統治してもらったほうが、話が早いのではないかと、二人は皮肉っている。日本人が日本人を皮肉るわけだから、日本人は大きな病に侵されてるといわざるをえない。その病とは、幼児化だと二人はいう。日本人はだんだんと幼児化して、いまや一人前の人間とはとてもいえないようなありさまに陥っている。

その日本人の一番悪いところは、隣国の人々と仲良くできないことだ。それも対米従属の深まりがもたらした結果だ。日本はアメリカの子分として振る舞ううちに、自分はアジア人ではなく、欧米人に似たものとして自覚するようになった。それは鈴木のような人も同じで、鈴木は、「ヨーロッパの人たちとは理解し合えるのですが、ダメなのはアジアです。イギリスやフランスの民族主義の思想や活動は参考になりますが、中国や韓国、北朝鮮の人たちとはそもそも話しあえないんだ」と言っている。

小生は、各国の国粋主義は自分の国以外の国には排外的な態度をとるものであり、しかたって各国の国粋主義者同士の連帯はありえないと思っていたが、鈴木は、日本の国粋主義は、ヨーロッパ諸国の国粋主義とは連帯の可能性があると考えているようである。






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