遊女亀遊:上村松園の美人画

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遊女亀遊は、横浜岩亀楼の遊女であったが、外国人を客にとることを潔しとせず自害して果てた。その折の辞世「露をだにいとふ大和の女郎花降るあめりかに袖はぬらさじ」は、あまりにも有名である。この絵は、そんな亀遊の心意気が伝わってくるような作品である。

絵の中の亀遊は、正座して左手に短刀を持ち、いまや自害せんとする風情である。膝もとの小箱の上には書状が置かれているが、これは辞世の歌を書き込んだものであろう。亀遊の表情には、諦めと決意の強さとが感じられる。

亀遊は、明治期にナショナリズムが高まりを見せる中で、大和撫子の鏡としてもてはやされた。この絵には、そんな時代の空気も反映されている。

なお、この絵は、明治三十七年の第九回新古美術展に出展されたところ、何者かが画面に鉛筆で落書きをした。それについて主催者は謝罪することもせず、無責任な態度を示したので、立腹した松園は、そのまま展示を続けさせた。そのことで、主催者側の態度をなじったのである。

ところが後日その絵の買い手が現われたので、松園は鶯の糞で落書きの部分をこすり、よごれを綺麗に取り去ったという。

(1904年 絹本着色 139.0×73.0cm)





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